CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Barbara avec Catherine Lara

2008年02月10日 18時42分46秒 | Cockpitから

この写真を掲載したサイトのペイジがそっくりそのまま、ゲイ&レスビアンのサイトに転載されているのを今日発見した。この雰囲気は確かに何も感じさせなくはない。
Barbaraの埋葬の日、天を仰いでいたChatherine Laraの頭を過ぎったのは、どんな思い出なのだろうか。
LaraはBarbaraにMoustakiを紹介されている。BarbaraにWilliam Shellerを紹介したのはひょっとして、Laraなのだろうか。
何れにせよ、否定も肯定もするほどのことではない。
この写真はいつ頃何処で撮影されたものなのだろうか?
「Music Croos Talk」の
さらなる筆をとるまでには確認しておきたい。


Georges Brassens

2008年02月08日 16時11分37秒 | Cockpitから

Georges Brassens - Le Gorille (Bobino, 1972)

Georges BrassensのGorilleについて
「Toi Le Poete」に原稿を入れました。

La mauvaise reputation Georges Brassens
Georges Brassens
Il N'y a Pas D'Amour Heureux
Georges Brassens
Georges Brassens
Chanson pour L'Auvergnat
Georges Brassens - Les amoureux des bancs publics

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母が倒れて看病で病院に寝泊りしていた頃
ストレスのせいか毎朝晩
心臓がヒヨヒヨした。
医者に「心臓がヒヨヒヨします」と言ったら
「ヒヨヒヨとはどういう意味ですか」と聞かれた。
ヒヨヒヨはヒヨヒヨなんだけど・・・
大阪人は一般的に言って
onomatopeeを過剰に使用するらしい。
さっき心臓がヒヨヒヨして、
そう結論づけていたTV番組を思い出した。


Boris Vian

2008年02月05日 12時58分18秒 | Cockpitから

シャンソン・ファンでなくても、Boris Vianファンはあちこちにいる。
そう思って取り上げてみた。
昔「日々の泡」のブームがあって、買って読んだ記憶がある。
それよりズッと、まだ子供の頃「墓に唾をかけろ」という映画があって、その主題歌?が「褐色のブルース」。
子供なのに、どういうわけか大好きだった。
ドーナツ盤のレコードも後年買った。
印象に残る曲。
本は読み、曲は聴き、映画は見るしか手が無い。
まあ、シャンソンとしては彼の歌う以下の2曲を
なんとかお届けできる。

Boris Vian- Le déserteur ;
Boris Vian - Je Bois  ;

同じ年齢でなくなったからか、Boris Vianにはなんとなく
父のイメージが重なる。

こんなものが見つかりました。
細川俊之がBoris Vianを語る。


Marie Dubas 他 & 少年少女Radio

2008年02月04日 17時04分58秒 | Cockpitから

Jean Gabin - Viens Fifine Video ; Musique ;
Jean Gabin & Mistinguett- On m'suit
映画俳優のジャン・ギャバン、女中のオトラさんのごひいきスター
短いがVideoがあったので置いてみました。
父も母も歌手だったようで、特に父は有名で
録音も残っている。

Bach ;Quand Madelon (1912)
Back; La caissière du Grand Café (1914)
日本ではあまり紹介されていない。

Suzy Solidor ;
Les oiseaux de notre dame ; Video
Suzy Solidor ; Nuit tropicale 1937
Suzy Solidor ;La belle escale  1935
沢山の画家たちのモデルにもなっている。
Videoはひどい顔に映っているが美人の誉れ高い。

Marie Dubas ;Ça fait peur aux oiseaux - 1928 
Marie Dubasにはこんな録音もあると言うこと。
古いシャンソン・ファンはMarie Dubasのレコードを所有している筈なので、珍しい曲を置いてみた。


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ぐっと若い人たちのための
Radio Junior

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Yvonne Georges

2008年02月03日 20時43分15秒 | Cockpitから

古いシャンソンファンの中には、熱烈なYvonne Georgesのファンの方もいらっしゃるようなので、L'oiseau Invisibleに既に掲載済みとはいえ、新たに再度CorrespondancesにYvonnne Georgesの歌声を紹介します。
Je te veux. ;  Les Cloches de NantesL'autre ; Pars ;

そしてめったに聴けないCharlusも
Le petit panier ; La bosse 1903 ;
Trompette et robinet 1903 ; Viens Poupoule ;

比較的新しくてDamiaも
La chaîne Damia 1935
La suppliante 1933 Damia
Damiaと言えばLes goélands 1930

ここまで来れば、Frehelを。
私の好きな
Comme un moineau 1931
Où est-t-il donc ? 1936
La Java bleue 1938

めったに聴けないPOLIN &
POLINのSite ;
La boiteuse du régiment (1895)
Le p'tit objet (Ah ! Mademoiselle Rose) 1911
L'anatomie du conscrit 1896?1897
Ah ! je l'attends 1905

ベルエポックのど真ん中?
興味津々Paulette Darty
Boudeuse 1902?1903?


La Grande Sophie chante Barbara

2008年02月02日 12時41分30秒 | Cockpitから

La Grande Sophie chante Barbara をずっと探していたのだけれど、見つからなかった。ようやく聞けるペイジを発見した。
La Grande Sophie chante Barbara をクリックしてください。

PCによっては上のLa Grande Sophie
聞けない人がいるかもしれない。
こちらはYou Tube
La Grande Sophie : Gottingen;
こんなGottingenは初めて聞く。

La Grande Sophie インタビュー

参照: こちら  

 執念で探した 「Ce matin -la」 par La Grande Sophie
Ce matin-la」 par BARBARA (1963)

追記:2月2日
かなりアウトになっているようなので
やり直して追加しました。再度UPします。
La Grande Sophie  My space
http://www.myspace.com/lagrandesophiemusic

La Grande SophieのSite
http://lagrandesophie.artistes.universalmusic.fr/

Intaview de La Grande Sophie sur Barbara
http://www.lehall.com/actus/itw_francofolies_artistes.htm


Michel Sardou : Claude Francois

2008年02月01日 15時37分26秒 | Cockpitから

Claude François: "Comme d'habitude"
(original of "My Way")
Claude Francoisは意外とよいfilmがあまりない。
ご存知、これが「My way」の元歌。

claude francois"chanson populaire" tv 1974


Comme d'habitude -
Michèle et maman Sardou

Le surveillant général
友人のJean Paulに歌を歌ってとマイクを向けたら
Sardouのこの曲を歌ってくれた。
探せばいつかUp Load出来る筈。
私の記憶の中のSardouはこんな顔だ。
久々に見た時はその変わりよう
に驚いた。

michel sardou je viens du sud
Chimene Badiがリバイバルさせた?
「Je viens du Sud」

Michel 
Sardou - Les Lacs Du Connemera
(French Tv 1982).上の写真

MICHEL SARDOU - LE TEMPS DES COLONIES
- 1976
いつも思うのだが、アフリカあたりに植民地を持つと国民の意識はどう変わるのだろうか、また失うとどう変わるのだろうか?