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Marianne Oswaldのサイト;
Mariannne Oswaldの作品目録;
BARBARA à l'Atelier, Bruxelles 1954の内容;
すでにMariannne Oswaldの曲を2曲歌っている。
(7番目と11番目の曲はClaude Sluys作詞
Barbara作曲である。)
BarbaraはまさにBruxellesのこの時期に
Marianne Oswaldを知り、夢中になった。
Music Cross TalkのBruxelles時代の記事にも
まさしく符合する。
Barbara et Bruxelles(1) ;
Barbara et Bruxelles (2) ;
Barbaraは自分で曲を作るようになる前は、古いシャンソンを中心に歌っていたが、Barbara自身が言うように、ほとんどが男性歌手の歌う歌だった。後の「Barbara chante Brassens」「Barbara chante Brel」にしてもそうだ。
この時期Marianne Oswaldのファン達が周りにいて、影響を受けたのかもしれない。
ごくごく初期のこの時期に限定される。
Barbaraは大切な人と、爆発的な別れ方をするらしい。
ある資料によると、Claude Sluysと別れたのも、後にBarbaraのレパートリーに関して意見が対立したためだ、と書いているものもある。Claudeはあくまでも古いシャンソンを、Barbaraは新しいシャンソンをレパートリーにしたかったために「あっそぅ、じゃ、別れましょう」という感じで去っていったという記述がある。
音楽に関して、自分の周りのmusiciensに影響を受けることはあっても、過去の女性歌手がすでにクリエイトし踏み均した道を後々まで歩むつもりは既になかったのだろう。