高校の生徒達と話していて、世代間のギャップを感じることは多いのだが、コミュニケーション・ツールの変化は、その最たるものである。
我々の高校生の頃は、ケータイ電話なんてなくて、電話はふつう一家に一台だった。(私の実家は親機の他に子機が2つ、そのうち1つは私の部屋にあり、小学生の頃は友人達から羨ましがられた)。パソコンも、一般家庭にはまだ普及していなかったし、当然インターネットもない。
だから、気になる異性がいたら、すぐにケータイ電話かメールで直接本人につながることができ、親密になれる(可能性がある)現代は、便利な時代だな、と思う。
という話を生徒にしてみても、すでにそれが当たり前のことになっている彼らからすれば、その便利さや通信技術の発達の恩恵がわからない。
代わりに、我々の不便な時代のコミュニケーション・ツールが珍しく、興味を引かれたりするようだ。
たぶん我々の世代は、交換日記をした最後の世代ではないか、と中学時分の話をこないだ授業中にしたら、生徒が妙に食いついてきた。
彼らの大半はそもそも、「交換日記」がどういうものかを知らないので、簡単にそのシステムを説明してやると、
「きっかけ、ってどうするんですか?」
となかなか鋭いところを突いてきた。
「それは、直接、意中の相手のところに日記用のノートを持って行って、『交換日記してくれませんか?』という場合もあるし、グループ交換日記が、一対一の男女の交換日記に発展する場合もある。友人とか先輩・後輩といったルートを通じて、交換日記の依頼が来る場合もある。まあ、いろいろなんだけど、結構みんな、そういうのに憧れてたから、常にクラスでは何人かが交換日記をしていたな。」
また、
「交換日記には、たいてい大学ノートを使っていたんだけど、コクヨのキャンパスノートみたいな色気のないやつじゃなくて、ファンシーショップ(これは死語だった)で女子が可愛いのを買ってくるのがおきまりだった。中には、他人に見られないように、交換日記用の、カギのついたタイプのノートもあった」
といった話をした。
ちなみに、私も一時期、隣のクラスのMさんという女子と交換日記をしていたが、その日記は卒業後、彼女が持って行ってしまった。いま読んだら、きっと卒倒しそうに恥ずかしいんだろうなあ。
Mさんとはその後も文通が続いて、時々手紙のやりとりをしていた。彼女の結婚を境にして、自然消滅のような感じになったが。生徒との話で、懐かしい記憶を思い出させてもらった。
我々の高校生の頃は、ケータイ電話なんてなくて、電話はふつう一家に一台だった。(私の実家は親機の他に子機が2つ、そのうち1つは私の部屋にあり、小学生の頃は友人達から羨ましがられた)。パソコンも、一般家庭にはまだ普及していなかったし、当然インターネットもない。
だから、気になる異性がいたら、すぐにケータイ電話かメールで直接本人につながることができ、親密になれる(可能性がある)現代は、便利な時代だな、と思う。
という話を生徒にしてみても、すでにそれが当たり前のことになっている彼らからすれば、その便利さや通信技術の発達の恩恵がわからない。
代わりに、我々の不便な時代のコミュニケーション・ツールが珍しく、興味を引かれたりするようだ。
たぶん我々の世代は、交換日記をした最後の世代ではないか、と中学時分の話をこないだ授業中にしたら、生徒が妙に食いついてきた。
彼らの大半はそもそも、「交換日記」がどういうものかを知らないので、簡単にそのシステムを説明してやると、
「きっかけ、ってどうするんですか?」
となかなか鋭いところを突いてきた。
「それは、直接、意中の相手のところに日記用のノートを持って行って、『交換日記してくれませんか?』という場合もあるし、グループ交換日記が、一対一の男女の交換日記に発展する場合もある。友人とか先輩・後輩といったルートを通じて、交換日記の依頼が来る場合もある。まあ、いろいろなんだけど、結構みんな、そういうのに憧れてたから、常にクラスでは何人かが交換日記をしていたな。」
また、
「交換日記には、たいてい大学ノートを使っていたんだけど、コクヨのキャンパスノートみたいな色気のないやつじゃなくて、ファンシーショップ(これは死語だった)で女子が可愛いのを買ってくるのがおきまりだった。中には、他人に見られないように、交換日記用の、カギのついたタイプのノートもあった」
といった話をした。
ちなみに、私も一時期、隣のクラスのMさんという女子と交換日記をしていたが、その日記は卒業後、彼女が持って行ってしまった。いま読んだら、きっと卒倒しそうに恥ずかしいんだろうなあ。
Mさんとはその後も文通が続いて、時々手紙のやりとりをしていた。彼女の結婚を境にして、自然消滅のような感じになったが。生徒との話で、懐かしい記憶を思い出させてもらった。