ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その20

2022年06月07日 | 介護
主人の入院している病院に着く。
入り口で手指の消毒をして体温も図ってエレベーターの横に設置された受付に行く。
主人の名前を告げ、看護師さんにお願いしていた看護日誌のことを聞く。
看護師さんは忙しいので来れないとのこと。
病院内の電話で様子を聞く。
食事はまだとろみ食とのこと。
リハビリは介助が無いと歩けないとのこと。
杖を持って行きましょうか?
と、話す。
私の杖なので女ものです。
花柄です。
父の使っていた杖もあるのですが、サイズを調節できない杖です。
父と主人は身長が違います。
お礼を言って電話を切り、携帯を受け付けの他人に返す。
雨だったのでバスで駅まで帰る。
駅から歩いて自宅に戻る。
ほどなくして聞きたいこともあったのでパソコン持参でパソコン教室に行く。
先生にわからないことを聞き、その後、このブログをkindleの電子書籍にしたい旨を話す。
同じように認知症の家族を抱えた他人の参考になればいいと思った。
また、同じように髄膜種を患った人や主人のように病気のデパートのようになった他人に対して何かの役に立てばいいなと思ったのだ。
事実を曲げずに書くこと。
正直に書くこと。
作り話ではない真実を書くこと。
それらは私が生きている間にやるべきことだと思ったからに他ならない。
たくさんの病気を抱えても、母の介護をしていても、日々戦っていても病気と向き合い前向きに生きていく証を示したかったのかも知れない。
夜にNHKのEテレのハートネットTVを見た。
某お笑い系の芸能人が出てきた。
酔っぱらいの父と認知症の母とダウン症の姉がいると言う。
20数年ぶりに家族と暮らしていると言う。
エッセイを書いていると言う。
そこにはリアルな日常があった。
何かテレビを見ていたらそこには私と通じるものがあったのだ。
「これって我が家じゃん!」みたいなものがあったのだ。
酔っぱらいの父ではあったが酒乱では無かった。
ダウン症の姉はいなかった。
でも何かどこか似ている気がした。
そんな家族の中で一生懸命生きて生活している彼女の姿を垣間見た気がした。
諦めず前向きに残された人生を生きてゆこうと思うのだ。
母との格闘はまだまだ続くと思いますが、母を看取ることは最早私に課せられた使命のような気もしてきました。
(続きはまたあとでね)

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その19

2022年06月07日 | 介護
6月7日火曜日だった。
その日は午前中は近所の小規模作業所のバザーの手伝いに行く日だった。
場所は地元のふれあいセンターだった。
そこには地域包括支援センターも入っていたし、社会福祉協議会もあった。
どうせ母のこともあり、主人のこともあったので、午前中は少しだけバザーに顔を出すことにした。
母には主人の入院している病院に行くと言って家を出た。
バザーを手伝っている途中で地域包括支援センターに行き、母のことと主人の話をする。
母を何としてもデイサービスに行かせたい。
もしかしたら主人も介護認定が降りればそのことも相談したかったのだ。
金曜日の午前中に地域包括支援センターの他人が2名で自宅に来ると言う。
その後、少しだけバザーを手伝って雨が降ってきたので一旦家に帰った。
帰ってきたら家に宅急便が2つも届いていた。
一つは田舎の母の妹からだった。
もう一つは私の友達からだった。
要冷蔵と大きく書かれていたのに母は友達から送られてきたものを冷凍庫に入れてあった。
私はそのことを指摘した。
おばさんからの宅急便は母がしつこく「おばさんに何か送ったから届いたんだろう?」と、言って来た。
何も送っていない旨を伝えるも信じてもらえず、私はおばさんにお礼の電話を入れて、母に電話を代わってもらう。
認知症になる以前より母は私の話を信用しない節があった。
それが認知症になったら益々ひどくなった。
送られてきた野菜のお礼を言い、電話を切った。
改めて主人の病院に行く。
たまたま道でバザーの友達の車を見かけると、友達と運転していたご主人が病院まで送ってくれることになった。
車に乗せてもらい、病院で下りてお礼を言う。
(続きはまたあとでね)

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その18

2022年06月07日 | 介護
ここに期しておこうと思う。
父は平成18年の5月14日に亡くなった。
西暦2006年です。
誕生日が5月27日だった。
享年74歳だった。
きちんとお墓参りにも行けずにいる。
なぜならいちいち出掛ける時に母に行先を告げて帰る時間も告げて、帰ってきたら報告をしなければならないのだ。
確かにお墓を買うお金が無いと言うので、お墓は墓石も含めて私が買った。
いやあ私は墓石だけ建立したのかも知れない?
今となっては定かではない。
母は自分でお墓も墓石も建立したと言い張るのである。
私は昔の銀行の定期預金の通帳を紛失したのでわからないのである。
お金を払ったのは私だと思うが、お寺の領収書と石材店の領収書は母の名前だったかも知れない?
今更認知症の母と争う気はないのだ。
最早母には何を言っても無駄なのだ。
その母を看取って葬儀を出す。
葬儀のお金も出すのだと思う。
そこへ突然ほぼ音信普通の弟が現れて喪主をするかもしれない?
父の時は家族葬だった。
質素な葬儀だった。
母の時も質素な葬儀をしようと思う。
母がいつ亡くなるのか?は未定です。
そのときは演技で泣いてやろうか?
それとも泣かない娘を演じようか?
とにかく私は母より先には死にたくはない。
本当の自由を知らずにあの世には行きたくないのだ。
私は最後に好き勝手なことをしてあの世に行くのだ。
(続きはまたあとでね)

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