ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その31

2022年06月12日 | 介護
6月12日の日曜日の夕食の時だった。
私が子供の頃の話を始めた。
子供の頃に私が心臓肥大だと診断されたこと。
遠足の山登りが嫌だったこと。
心臓が悪いので山登りは半ば命がけだった。
みんなより余計に休憩し、頂上に着くとみんなはお昼のお弁当を食べ終わっていた。
一人でお弁当を食べたこと。
校庭3周で唇が紫色のチアノーゼになったこと。
高校の時の学校行事の狭山湖1週マラソンに参加して走れず歩いてビリになったことなどを話した。
診断書は毎年医者からもらい、学校の体育の先生に出す。
母は遠足の山登りも狭山湖1週マラソンも参加しなくていいとは言わなかった。
先生に参加出来ない旨を伝えてはくれなかった。
「そんなこと知らなかったわよ!」と、母が言った。
どれだけ私が辛かったのかを母はわかってはいない。
その後10年以上前の健康診断で不整脈と言われて薬を飲んでいる。
階段を上る。
3階くらいまでなら上ることも出来るが、それ以上だと息切れがして辛いのだ。
全力で走る。
これは死ぬかと思うのだ。
今の母には娘の身体より自分の身体の方が大事なのだ。
若い頃は母と旅行に行き、京都の高尾の神護寺や高山寺にも行った。
他人様よりも余計に休憩すれば行けたのだ。
山形の山寺にも行った。
四国の金比羅山にも行った。
ゆっくり歩き、他人より余計に休憩すれば大丈夫だった。
そのころは不整脈とは診断されていなかった。
もはやどこも無理かもしれない?
せっかく母を看取ったら夫婦で楽しく旅行でも行こうと思った矢先に主人が倒れて入院した。
夫婦の楽しみはどんどん遠のくばかりになった。
どこまでも不幸は付きまとうのだ。
(続きはまたあとでね)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その30

2022年06月12日 | 介護
6月12日の日曜日です。
どこにも行けない身体を朝食を食べて、地元の朝カフェのzoomに参加する。
いつものようにくだらない冗談ばかりを言って辛く寂しい心を埋めた。
みんないい他人なので良かったと思う。
この日は特に母とのいさかいも無く過ごした。
昨日田舎のおばさんに宅急便で送ったものがおばさんの家に届いた。
おばさんはLINE電話をよこし、スマホにも電話をよこしたがマナーモードで気が付かなかった。
そのうち固定電話におばさんから電話が来た。
母がうるさいので用件だけ聞いて電話を切る。
電話料金を払うのは我が家です。
それなのに固定電話は自由に使えず、スマホも危うく禁止命令を出されるところでした。
通信手段を絶たれると困るのです。
母に隠れてパソコンを使う。
母に隠れてSNSをする。
通っているパソコン教室のことは「パソコンの先生」になるのかと?
先生になる気はなく、やりたいことを習っているだけです。
延々と通っているので、パソコン教室の先生になると思い込んでいます。
ところで自宅に主がいない。
今までいた他人の声が聞こえない。
これほど悲しいことはありません。
姿が見えない。
以前入院した時はせっせと毎日電車に乗って主人の病院に面会に通いました。
外出許可をもらい病院の周辺を主人と散歩する。
それだけで幸せでした。
たまたま入院した病院が私の大好きだった亡くなった某歌手の地元でした。
彼女の足跡をたどるように散歩をしました。
主人は糖尿病もあったので途中でコーヒーを飲んで休むことも出来ず、公園のベンチに腰を下ろすだけでした。
わずか30分足らずの散歩はうれしかったことを覚えています。
その後、主人が退院してきて定期的に年に2回ほど定期健診に行く時にはそのあたりを散策し、食事をしたり、お茶をしたり、好きだった某歌手のお墓参りにも行きます。
二人で行く。
夫婦で行く。
そこには新しい発見もあり、ただあてもなく歩くことで分かり合えることもあるのです。
ここ数年SNSで知り合ったカラオケスナックのマスターのお店にも行くようになりました。
カラオケが苦手で歌わない主人とカラオケ大好きな私です。
しばし和んで自宅に帰る。
そんな日々が来るのでしょうか?
主人の好きな映画を観に行く。
私の好きな歌手のシャンソンを聴きに行く。
好きな師匠の浪曲を聴きに行く。
そんな日々が来ることを望みます。
焦らずゆっくり望みます。
そして最後に主人に感謝の言葉を残して私はあの世に行きたいと思います。
(続きはまたあとでね)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その29

2022年06月12日 | 介護
SNSで再三母は認知症だと言っているのに、今頃になってコメントで「お母さん認知症じゃあないですか?」と、言ってきた他人がいた。
その他人にはその前にも嫌なことを言われた。
それなりの職業の他人なのにである。
認知症に関しても知識はあるはずである。
今更やりあうのも嫌なのでそのままにしている。
こういう他人は結構いるものだ。
いちいち対応していてはきりがない。
以前もリアルな友達じゃあないのでブロックしたことがあった。
言いたいことを言う他人は後を絶たない。
知ったかぶりをする他人。
上から目線でものを言う他人。
誹謗中傷をする他人など様々だ。
また共感を持ってくれる他人がいるのも事実です。
同じように介護の経験のある他人などはそのいい例です。
中にはやたらと知識を身に着けた他人もいて、そういう他人は知識をひけらかす他人もいます。
中には高みの見物よろしくの他人もいるのは事実です。
一概にどうとは言えませんね。
認知症の場合は自分が介護される立場に立って物事を考えると言うのは初期の頃だと思います。
またアルツハイマー型とレビー小体型認知症では違うと思います。
その点を踏まえた上で意見を述べて欲しいものです。
家族に認知症の他人がいれば置き換えてみるということも必要です。
いない場合はもしも自分が認知症になったらと言うことを想定して見てください。
介護者はどれだけの神経を使い介護をしているか?
どれだけの体力を使っているのか?
私の母の場合は思うように動けないのに口だけは達者です。
従って徘徊と言うことはありません。
ただ娘の私の自由を奪い、理不尽なことは言います。
まあ、その理不尽なことは認知症になる以前からのことでした。
昨日の私は1日襟の伸びた色褪せたTシャツを着てました。
新しい服は怒られます。
嫌味のように私は襟の伸びた色褪せたTシャッを着てました。
履いているズボンの丈も言われます。
長い丈はダメだそうです。
足首の見える短い丈がいいようです。
靴に至っては履きつくす。
従って新しい靴は買えません。
下駄箱にある私の靴が体育館用のスニーカーと公民館で卓球をする靴と冠婚葬祭用の黒い靴と白い靴と夏用のサンダルといつも履く黒い靴だけです。
ここまで制限されては困りますね。
みんなのようにおしゃれが出来ません。
白系のズボンにも黒い靴です。
(続きはまたあとでね)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする