ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その22

2022年06月08日 | 介護
母は私と食事がしたいと言う。
その食事を私は母とはしたくないのだ。
作ったおかずに文句を言い。味付けに文句を言い、食材に文句を言う。
そのくせ食べたいものを言わない。
楽しい食卓も楽しくは無い。
美味しいおかずも文句を言われては食べた気はしないのだ。
今日はテレビは何を見ていると言われた。
人の見ているテレビが気になるようです。
何時に寝るかとも聞かれた。
早く寝て欲しいようです。
母の決めたテレビを見て、母に言われた時間に寝るのは無理だと言うものです。
買ってきたものにことごとく文句を言われ、自分が「お使いは5分だよ!」と、行ったことさえ忘れています。
うかつに散歩もウオーキングも出来ません。
おまけに自転車は危ないと言われる始末です。
散歩もウオーキングも途中でスマホに電話が着て、具合が悪いから帰ってくるように言われます。
そうなると自宅ではスマホを持ち歩かないので1日800歩なんて日もあります。
歩かないことはすなわち運動不足になり、筋力の低下につながるのです。
動かないということはすなわちエネルギーを消費しないのです。
日々の生活を管理され監視された中では楽しみの半減されるのです。
母なりのルールの中での生活に不満をぶつけてみても到底敵いません。
母には最早世間の常識は通じないのです。
この先母はどれくらい生きるかは定かではないのだ。
最早楽しみも自由も奪われたと同然の私は、逆らっても逆らっても抵抗をしても、適わない母に困り果ててどうすることも出来ないのだ。
母はじぶんの子育てを間違っていたとは思っていない。
むしろ娘を思い通りの娘に育て上げて、それが当然だと…。
(続きはまたあとでね)

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その21

2022年06月08日 | 介護
私は朝から母と食卓を囲みたくなかった。
母は冷蔵庫にあるもので食事を済ませた。
その後、時計が9時を回ったので、私はコープにお使いに行った。
コープのチキンカツカレーの弁当で朝昼兼用の食事をして済ませた。
自由にならない身の上は自宅に居ても常に母の目を気にして生きた心地がしなかった。
俳句やら短歌のようなものを作って時間をつぶした。
病院も面会できず夫を思う我が身悲しき紫陽花の花
コロナ禍で夫と会うことも許されず寂しき日々を我は過ごせし
会えぬならせめて声でも聞きたいが声聞く勇気我が身には無し
リハビリを夫は頑張りし病院で我は祈りし夫の回復を
退院のメドさえわからぬ我が夫病の床に今日も伏せたる
会えぬ日を一日千秋待つ思い
淹れたての珈琲さえも夫と飲めぬ我が身悲しき梅雨のひぬまに
生活を日々監視され針の筵で我は過ごせり
外出も自由に出来ぬ我が身悲しむ
思うような外出も許されず、自由な行動も見張られた生活に楽しいことも半減され、収まらぬ母との格闘に心はつぶれるばかりです。
やたらと外面のいい母です。
しかしみんなは母の本当の姿を知らないのです。
母を放り出すことも出来ずにいます。
この母の下に生まれ育てられたことを半ば恨んでいます。
私は子供を持ったらこのような母親にはならないと決めていました。
ところが子宝には恵まれず、現在に至っています。
悲しく悲惨だった子供時代は社会人になっても続きました。
やりたいことはすべて反対され、管理された生活は苦痛でしか無かったのです。
学校にも居場所が無く、社会人になっても職場ではいじめにあい、かくなる上は寿退社を夢見ていました。
寿退社をして、親元を離れる。
そこには大きな自由があると思ったからだ。
寿退社をしたのはいいが、子宝にも恵まれず、果ては10年目に母を引き取り同居することになるのだ。
そこにはまた以前のような苦痛が待ち受けていたのは言うまでもない。
夫婦はこれと言った会話も無く床に就く。
たまの外出も「どこに行くの?」「何しに行くの?」「何時に帰るの?」である。
自宅を夫婦で出たはいいものの5mも歩けば後ろを振り向き、もしや母が後を付けてこないかと気にした。

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