ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その17

2022年06月06日 | 介護
主人の病院の食事はとろみ食から普通の食事になっただろうか?
少しは歩けるのだろうか?
トイレは行かれるのだろうか?
持参した本は読めるのだろうか?
テレビは見れるのだろうか?
寝がえりは打てるのだろうか?
自宅でいろいろ心配している。
看護師さんには日誌をお願いしたが、思うように見に行くことも出来ないでいる。
そもそも外出が思うように出来ない。
自宅の固定電話に関しては母からごちゃごちゃ言われ、家のどこに居ても飛んで出る始末です。
自室に居れば寝ていると思われ、日々母の顔色を伺い、言動に怯え、入院している主人のことを心配しています。
1日の睡眠時間が3時間から5時間です。
昼間に昼寝やうたた寝をすれば母に文句を言われます。
昼間のテレビも自由に見れずに、夜中にHNKプラスで見ています。
自分の食事も適当でいい加減になりました。
とにかく母との食事は楽しくないのです。
母は楽しく食べようと言います。
ところが作ったおかずに文句を言い、買ってきたおかずにも文句を言い、食べながら私への不満を言うのです。
そのような食卓に楽しみは無く、母の顔色を伺い食べる始末です。
もはや私の楽しみは母に寄って奪われているのです。
これでもしも私が入院することになれば、母は一人でどうするつもりでしょう?
思うように歩けない動けない母は買い物にも行けず、キッチンにも立てずにどうするつもりでしょう?
洗濯機の使い方も知らないんですよ。
今の私に入院することは許されないのです。
高熱が出ても家事をしなければならないのです。
おまけに母は家事の仕方にまで口出しをしてきます。
そこに楽しさや嬉しさは存在しません。
あるのは苦痛でしかないのです。
私は言いようのない苦痛の中で人生の大半を生きてきました。
やっとつかんだ自由も母に監視され管理され、やっと見つけた夫婦の幸せも母に崩されて行くのです。
私は今まで生きてきた人生の大半を不幸の中で過ごすのです。
いや、過ごしているのです。
今日も昼間母と揉めた。
てっきり父のお墓を私が建立したと思っていたら。母がお墓のお金は母が払ったと言う。
母は自分のノートに自分がお金を払ったと記していた。
私が預金を下ろして払ったはずだと思うのだが、言いあっても仕方がない。
それよりもどうしたことか私の平成2年から20年までの定期預金の通帳が見つからなかった。
出てきたのはその後の定期預金の通帳だった。
(続きはまたあとでね)

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その16

2022年06月06日 | 介護
6月6日月曜日になった。
母は朝から相変わらず文句を言い、私は怒られた。
午前中にコープの家の修理の他人がこの間の雹の被害の下見に来た。
現場の写真を撮って帰って行った。
見積もりは15日までに郵送すると言う。
雹の被害が多いので依頼が多いと言う。
その後、壊れたところの材料と色を決めて修理なる。
修理は1日で終わると言うが、立て込んでいるようなのでいつになるかは未定です。
農協からも電話があり、被害の場所の写真と修理の見積もりが欲しいと言われる。
15日に見積書が来ることを告げる。
そのあと頼んでいたシルバー人材センターの草むしりの他人から電話が入る。
木曜日には来ると言う。
主人の入院している病院にも行って看護師さんに頼んでいた日誌も見たいと思うのだ。
午後から傘をさしてコープにお使いに行く。
指定のゴミ袋を買い、母が食べたいと言ったクリームパンと自分の食べ物を買う。
楽しいことはもはやないのだ。
さりとて酒を呑むわけにもいかず、やることは山積みなのにしないでいる。
相変わらずパソコンの使用禁止が続いている。
自室で夜中が定番となり、昼間は眠いのだ。
ゆがんだ母の子供時代と私に対するゆがんだ教育としつけは如何せん治らない。
愛情のかけ違いとはき違いはどうしたものかと思われる。
これで私が入院していないだけましだと思う。
思うように歩けない母に買い物は無理だと思うし、電気製品の使い方も覚えない母に洗濯を頼むことも無理だと思う。
子育てを間違えはき違えてゆがんだ性格になった母に今更何を言っても無駄だと言うものだ。
私は主人のこともあり、一度に二人の介護は難しいと思う。
主人はリハビリもあります。
老後は母を看取ったら穏やかな暮らしを夫婦でするつもりでした。
その矢先の出来事でした。
何の前触れも前兆もなく突然倒れたのです。
倒れた先は自宅だったので良かったのかも知れませんね。
発見したのが私だったのですぐさま救急車を呼んだこと。
その日のうちに入院したことは良かったですね。
もう少し遅かったらと思うとぞっとしますね。
結局穏やかな暮らしも旅行も望めなくなりましたが、私は生まれ変わっても主人と結婚したいと思います。
そのときは子供を持ちましょうね。
母のような子育てはしない。
そう決めています。
間違った子育ては子供を不幸にします。
(続きはまたあとでね)

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