6月15日の水曜日だった。
眠くて少し寝坊した。
残り物のご飯とクロワッサンで母に朝食を食べて貰う。
その後、燃えないゴミを出しに行ったらあっちこっちからスマホに電話が来た。
電話で応対しているうちにほぼ疎遠になった弟からの電話で今から家に来ると言う。
本当は金曜日に主人が退院してくるので、主人の寝室にしている居間を片づけるつもりだった。
そんな時間もなく、弟を駅の付近まで迎えに行く。
向こうから来た帽子を被った弟が手を振ったので弟だとわかった。
弟が朝も昼も食べていないと言うので、その足でコープに行った。
お弁当とつまみと缶チューハイを買った。
私も母もお昼は食べていない。
そのまま弟と自宅に行く。
弟は母の部屋で少し話してキッチンに行った。
母もキッチンに来た。
アルコールの好きな弟は缶チューハイを吞みながら話し始めた。
缶チューハイは1本では足りなかったようで、冷蔵庫に残してあったもう1本の缶チューハイまで呑んで、
しまいにいただき物の高級なスパークリングワインをほぼ呑んだ。
私の口には少量しか入らなかった。
母の様子を見に来て主人のことを聞きに来たのかと思ったら、そのうち昔の話になり、子供の頃の話に及んだ。
弟は私が高校に進学する時に近所の高校に行かずに遠くの高校に行ったことで、家族で引っ越しをして、中学校は私が通った中学校に行けなかったことを恨んでいた。
弟は中学校でいじめにあっていたと言う。
私はそんなことはみじんも知っらなかったのだ。
それよりも弟は私が小学生から中学生と高校生と社会人になってもいじめにあっていたことを知らずにいた。
陰湿ないじめの数々はひどかったが、今更相手の名前もはっきり覚えていない人もいるので、恨む気持ちも失せている。
友達のいなかった学生時代。
親友のいなかった学生時代。
うわべだけの友人に…。
校庭でのドッジボールに入れてもらえず、眺めていたこと。
ばい菌呼ばわりされていたこと。
例を挙げればきりがない。
自宅でも母に管理された生活を強いられ、居場所が無かった。
常に死にたいと思ってはいたが勇気が無かった。
弟よりも私の方が悲惨だったのだ。
果たして私が死なずに64年も生きたことは良かったのだろうか?
弟はさんざん呑んで食べて帰りに他人のいい私は自宅のまだ賞味期限が切れていない食べ物を弟に渡した。
弟はそれを持って駅まで行くのかと思ったら呑み足りないのか?
コープでアルコールを買って帰るようで、駅とは反対側の道を歩いて行きました。
その後、私は20時から認知症や障がい者の他人やそのような家族を持つ他人や施設等で働いている人たちのzoomがあったので参加した。
この会は月1回行われます。
皆さんいい他人ばかりです。
当事者や家族や施設で働く職員や薬剤師さんなどです。
ケアマネさんもいます。
ほぼ1時間半ほど参加している途中で弟からショートメールが着て、来てくれたことに礼を言う。
弟は「どうしたらいいんだろう?」と、言っていたが、私は主人のこともあり、このまま死ぬ気も無いので、人生は前向きに考えたいと思います。
とにかく明日は母をデイサービスの施設に見学に連れて行きます。
(続きはまたあとでね)
眠くて少し寝坊した。
残り物のご飯とクロワッサンで母に朝食を食べて貰う。
その後、燃えないゴミを出しに行ったらあっちこっちからスマホに電話が来た。
電話で応対しているうちにほぼ疎遠になった弟からの電話で今から家に来ると言う。
本当は金曜日に主人が退院してくるので、主人の寝室にしている居間を片づけるつもりだった。
そんな時間もなく、弟を駅の付近まで迎えに行く。
向こうから来た帽子を被った弟が手を振ったので弟だとわかった。
弟が朝も昼も食べていないと言うので、その足でコープに行った。
お弁当とつまみと缶チューハイを買った。
私も母もお昼は食べていない。
そのまま弟と自宅に行く。
弟は母の部屋で少し話してキッチンに行った。
母もキッチンに来た。
アルコールの好きな弟は缶チューハイを吞みながら話し始めた。
缶チューハイは1本では足りなかったようで、冷蔵庫に残してあったもう1本の缶チューハイまで呑んで、
しまいにいただき物の高級なスパークリングワインをほぼ呑んだ。
私の口には少量しか入らなかった。
母の様子を見に来て主人のことを聞きに来たのかと思ったら、そのうち昔の話になり、子供の頃の話に及んだ。
弟は私が高校に進学する時に近所の高校に行かずに遠くの高校に行ったことで、家族で引っ越しをして、中学校は私が通った中学校に行けなかったことを恨んでいた。
弟は中学校でいじめにあっていたと言う。
私はそんなことはみじんも知っらなかったのだ。
それよりも弟は私が小学生から中学生と高校生と社会人になってもいじめにあっていたことを知らずにいた。
陰湿ないじめの数々はひどかったが、今更相手の名前もはっきり覚えていない人もいるので、恨む気持ちも失せている。
友達のいなかった学生時代。
親友のいなかった学生時代。
うわべだけの友人に…。
校庭でのドッジボールに入れてもらえず、眺めていたこと。
ばい菌呼ばわりされていたこと。
例を挙げればきりがない。
自宅でも母に管理された生活を強いられ、居場所が無かった。
常に死にたいと思ってはいたが勇気が無かった。
弟よりも私の方が悲惨だったのだ。
果たして私が死なずに64年も生きたことは良かったのだろうか?
弟はさんざん呑んで食べて帰りに他人のいい私は自宅のまだ賞味期限が切れていない食べ物を弟に渡した。
弟はそれを持って駅まで行くのかと思ったら呑み足りないのか?
コープでアルコールを買って帰るようで、駅とは反対側の道を歩いて行きました。
その後、私は20時から認知症や障がい者の他人やそのような家族を持つ他人や施設等で働いている人たちのzoomがあったので参加した。
この会は月1回行われます。
皆さんいい他人ばかりです。
当事者や家族や施設で働く職員や薬剤師さんなどです。
ケアマネさんもいます。
ほぼ1時間半ほど参加している途中で弟からショートメールが着て、来てくれたことに礼を言う。
弟は「どうしたらいいんだろう?」と、言っていたが、私は主人のこともあり、このまま死ぬ気も無いので、人生は前向きに考えたいと思います。
とにかく明日は母をデイサービスの施設に見学に連れて行きます。
(続きはまたあとでね)