ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その35

2022年06月16日 | 介護
6月16日の木曜日だった。
この日は午前中から母がデイサービスに行く施設の見学に行くことになっていた。
起きて洗濯をして干して、朝食も食べて、ゴミ出しもして支度をして迎えの車を待った。
気温が上昇すると言うのに母は何枚も着こんだ。
10過ぎに迎えの車が来た。
車の中にはもう一人の他人が乗っていた。
あっ!「おはようございます」
知り合いだった。
毎月1回やっている近所の小規模作業所のバザーに来てくれるお客さんだった。
向こうも驚いていた。
母が見学に行くことを話すと相手も見学だと言う。
ほどなくして車は施設に到着した。
見学に来たことを告げて中に入る。
母の名前の書かれた席に母は座り、私はその横に椅子をもらって座った。
ほどなくしてお茶が出された。
隣の席の他人とあいさつをした。
しばらくしたら母のところに男性がやってきた。
「もしかしたら〇〇さんですか?」
その他人が母の苗字を言った。
そしてその他人が「覚えてないですか?高齢者大学で一緒だった〇〇です」
母の記憶がよみがえった。
母が「92歳になりました」と、言う。
その後その他人は自分の席に戻って行ったが、母はその他人の話を始めた。
その他人は飲食店をやっていた。
母はあるときその他人の店に餃子を教えに行ったのだ。
そのことは私も覚えていた。
こんなところで会うとは偶然だった。
他にもこの施設には前出のバザーに来てくれるお客さんがもう一人いた。
偶然だった。
午前中は施設の年配の男性の話と体操だった。
この男性の話が面白くない。
聞こえない。
ホワイトボードに書かれた文字もフェイスシールドで光って見えない。
今日が何の日だとか?季節の話などを延々とするのだ。
その後、お昼になった。
ほうじ茶が運ばれ、ネギトロ丼と冬瓜と豚肉の煮物と山芋と味噌汁とヨーグルトが出された。
ネギトロ丼はかなりのご飯があった。
私もお昼を食べたがお腹いっぱいだった。
ご飯の量は調節出来ること。
おかゆに帰ることも可能なこと。
嫌いなおかずはあらかじめ言っておけば出されないことなどを聞いた。
午後からは水彩色鉛筆で塗り絵をした。
私もした。
こういうのは好きなのですぐできた。
母は途中で飽きて私に続きをするように言ってきた。
おまけに朝顔の中まで色付けされていた。
認知症になったら朝顔の中が白いことを忘れているようです。
向かいのお二人は折り紙をしていた。
教えてくれる先生は几帳面な先生のようで、きちんと折るように指導していた。
私は意外と折り紙は得意分野んなので「折り紙いいですね」と、話したら「やりますか?」と、言われて折り紙をすることになった。
教えてもらいながら向日葵を折り、葉っぱと茎も付けて厚紙に折り紙を貼った上に貼り付けた。
先生からはお褒めの言葉をもらい、おまけに先生が蛙を折ってくれて向日葵の上に貼ってくれた。
折り紙は好きなので教えてもらえればそこそこできます。
その間にカラオケが始まった。
隣のご婦人も歌うと言う。
母の友達も歌った。
このカラオケは母の一番嫌いなものです。
ところがカラオケ大好きな私です。
歌いたいけど見学者で付き添いなので歌わずにみんなの歌を聴いていました。
皆さんの歌う歌はほぼ知らない歌はありません。
で、4時に送迎の車で帰ってきました。
結論から言うと午前中の話と体操は好みじゃあ無いけど、午後からのレクレーションなどは楽しかったです。
お昼も美味しく、おやつも出て良かったですよ。
私なら喜んで行きます。
自宅に帰って母に今日のデイサービスのことを聞くと「1回行っただけじゃあわからないわよ。もう1回行かないとね」
もしももう1度見学に行ったらまた同じことを言うと思います。
「もう1回行かないとわからないわよ」
その後、コープに私の食料を買いに行き、帰ってきたら保険会社の他人が来たようです。
三大疾病の書類を置いて帰りました。
私はすぐに電話をして話を聞くと良性の腫瘍ならお金はおりないそうです。
大金はもらえなくなったけど両性の腫瘍で良かったと思います。
その後、明日主人が帰ってくるから部屋を片付けるように言われ、手伝うとまで言われました。
もしも母が手伝ったら全部処分されかねないので、手伝わないで欲しい旨を伝えました。
この片付けの件ですが、母は再三手伝うと言います。
全部処分されることは目に見えています。
夫婦のお宝はゴミなのです。
今夜は寝ないで片付けます。
(続きはまたあとでね)

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