ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その15

2022年06月05日 | 介護
私は子供の頃から母好みの子供にも少女にもなれなかった。
大人になっても母好みに染まることは嫌だった。
母は私を自分の好みに育てたかったのだ。
それに対して反発はしてみたけれど叶わなかった。
一見して自由のような私は不自由を強いられていたのだと思う。
奪われた自由をどうすることも出来ずに過ごしていた。
半ば管理された生活に自由は程遠く、ことごとくやりたいことは反対され、逃げ道は結婚しか無かったのだ。
32歳でお見合いをしてやっと結婚をした。
子供が欲しかった。
子育てをしたかった。
母のような子育ては嫌だった。
子供を産み育てる。
子供の人権を尊重し、子供の意見も聞ける耳を持つ母親になりたかった。
結婚して2年目に大学病院に不妊治療通った。
4年間通った末に子供を産み育てることをあきらめた。
その間に突然の耳鳴りに襲われて、あっちこっちの病院を転々とした。
結局耳鳴りは良くならなかった。
耳鳴りの中で声を聴く。
歌を聴く。
話をする。
歌を歌う。
結婚して10年目に70歳で働けなくなった母との同居が始まる。
その後私は更年期になったのだ。
ところが更年期から別の病気にもなるのだ。
原因は母との同居にあったのだ。
働いていたパート先を辞める。
婦人科をやめて心療内科に通うのである。
原因は明らかに母との同居にあった。
辛い日々が続くのだ。
母に監視されて見張られたような生活に楽しみは主人との外出だった。
それでも半ばストーカーのような母に
「どこに行くの?」
「何時に帰るの?」
「何しに行くの?」
などど聞かれて、帰ってくれば行った先の内容まで聞かれる始末だった。
母は私の外出を嫌った。
極端に嫌った。
私は子供の頃から芸能人が好きだった。
心のよりどころだった。
その芸能人を極端に嫌った。
コンサートに行く。
舞台を観に行く。
ライブに行く。
CDを買う。
本を買う。
それらも嫌った。
そのようなことにお金を使うことよりも、お金は銀行に貯金する方が良いらしい?
お金は使わず銀行なのだ。
習い事許されず、資格を取ることも許されなかった。
時に夫婦の会話にも口をはさんだ。
そこには本当の自由も幸せも無かったのだ。
ゆがんだ母の子供時代とゆがんだ子育ては母を本当の幸せに導くことは無理だったと思われる。
(続きはまたあとでね)

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その14

2022年06月05日 | 介護
6月5日日曜日になった。
適当に朝食を食べて、参加している地元のzoomの朝カフェにパソコンで参加する。
zoomは主催者が無料版なので40分ずつ3回に分けて行う。
途中からの参加も途中退出も自由である。
最低限のルールを守れば会話は自由です。
楽しく参加して、その後、自宅にシルバー人材センターの植木屋さんが下見に来た。
主人が入院していること。
私が腰痛と膝の病気があることを告げ、剪定して欲しい樹木とどれくらい切って欲しいかを告げる。
急に主人の病院からの呼び出しもあることを告げ、自宅に母が居ることも告げる。
車を止める場所も教えてシルバー人材センターの他人は帰って行った。
その後、軽くお昼を食べて、母の部屋でのどじまんを見る。
母の部屋を出て、別の部屋でテレビを見る。
ほどなくして睡魔に襲われうたた寝をするも、その後コープにお使いに行った。
帰ってきて母と夕食を食べる。
母と食べる食事は嫌だが仕方がない。
夕食を食べて私は自室に行く。
明日は農協に電話をして雹の被害の話をしようと思う。
火災保険が少しでも下りるといいなと思うのだ。
電話で頼んだ修理の業者が下見に来ると言う。
主人の入院といい、雹の被害といい、お金のかかることが多い。
入院費が少しでも生命保険で補填されるといいなと思う。
今日は今のところ母とは喧嘩らしい喧嘩もない。
穏やかな生活と穏やかな日々を望んでいる。
母を看取ったら夫婦で自由に旅行などにも行って好きなことをして過ごそうと思っていた。
ペースメーカーを埋め込んだ母は思うように歩くことは無理だが、口は達者です。
新しいパソコンも買いたいが、物を買えば母に怒られるので買えずにいる。
ノートパソコンのキーボードのアルファベットがかすれてほぼ見えなくなったパソコンのキーを感で打つ。
冷蔵庫も新しいのが欲しいのに買えずにいる。
一度母に氷が作れないから買い替えると話したら、買い替えることを拒否された。
勝手にものを買う。
やたらにものを買う。
ダメなのだ。
服はとことん着て、靴もとことん履かなくてはならない。
入院している主人はとろみ食から普通の食事になっただろうか?
浮腫んだ顔は元に戻っただろうか?
水分は取れているだろうか?
リハビリは出来ているだろうか?
心配は尽きない。
自由に思うように外出も出来ない私は、パソコンを使うことも制限され日々母親に監視された生活を余儀なくされている。
(続きはまたあとでね)

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