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まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

2つの裁判(その4)~子どもの支援は親支援

2007年07月29日 | 「発達障碍」を見つめる眼
障碍のある子を授かると、「この子はあなたを選んで生まれてきたのだから」と
言われることがあります。
「お母さんがまず頑張ってあげなければね」とも。
我が子が自分を選んでくれたのだから、へこたれてはいけない、
泣いてばかりではいけない、頑張ろう、そう思える親はまだいいのです。

でも、障碍のある子は、本当は親を選ぶ自由を持たずに生まれてきます。
障碍のない子どもでさえまともに育てる気持ちのないような親のところにも、
その前に背負ったものが重過ぎて、とても子どもの障碍のことで
頑張れるような余力のない親のところにも、
どんなに追い詰められても「助けて」と言えない親のところにも、
孤立や孤独から脱出したり、たとえかろうじてでも自分自身を
支えることができない親のところにも
どう頑張ったらいいかどうしてもわからない親、頑張れない親のところにも。

自身が病気や障碍を持った親のところにも生まれてくるし、
私のように、親自身が自閉っ子を授かったあとで病気になったり
障碍をもったりして支援を必要とする状態になることさえあります。

だから、「自閉っ子」を持ったらまず「(母)親が頑張る」を前提にし、
「(母)親の頑張りを補う支援」「(母)親をもっと頑張らせるための支援」を
している限り、2つの事件のような悲しい結末は決してなくならないのでは
ないかと思うのです。

自閉っ子本人の福祉(Well-being)を考えるとき、支援する側には、まだまだ
「どうして親なのにもっと頑張らないのか」
「どうして家族なのにわかってやらないのか」という気持ちがないでしょうか。

「親なのだから頑張って当然」「家族なのだから理解して当然」という前提を
まずとりはらって、
「どう援助すればこの親は楽な気持ちになれ、余力がでるのか」
「この家族に理解しようという気持ちが出てくるには、何が必要なのか」
そこまで考えなければ、本当に支援しているとはいえないのではないか、と
私は思うのです。

特に、障碍のある子どもとその親は、定型発達の親子以上に生活上も
心理的にも密接な関係にあることが多いです。だから、特に子どもが
幼少である場合には、子の福祉(well-being)は親の福祉(well-being)と
不可分と言ってもいいと思います。

最近、「子どもを支援し続け、就職させた立派な親」
「会社やNPOを立ち上げ、頑張っているすてきなおかあさん(おとうさん)」が
注目されて、あちこちで紹介されています。
それはそれで、とても素晴らしく、エンパワメントにもなるのだけれど、
「そんなふうに頑張る力を今もっていない」多くの人たちのために
「家族を頑張らせない支援」「家族が自ら『頑張ろう』と思えるための支援」
「家族を追い詰めない、孤独にさせない支援」
というものを、教育や福祉、医療といった「支援する側」に立つ方々には
もう一度考え直してみて欲しいと思います。

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