雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

2つの裁判(その3)

2007年07月28日 | 「発達障碍」を見つめる眼
「とことんこのこにこだわって」にも書いた、こうした孤独の中で、
それでも私が一線を越えることなく息子と共に生きていられたのは、
息子が私に明らかに愛情を示してくれていたことと、
同情からか真意からかはわからないけれど、それでも変わらず
付き合いをしてくれて、時にはいたわりの言葉をかけてくれていた
ごく限られた人たちの存在と、
やがてインターネットを通して結びついていく仲間たちの存在、
そして、苦しい日常の中でも、花のきれいさだとか、TV番組や
我が子のアヤシイ仕草におもわずくすっと笑う瞬間だとか、
ほんのちょっとしたことに小さな幸せを見つけようとする努力で
かろうじて自分を支えていることができたからでした。

あれから10年以上経って、自閉症やその他の発達障碍の認知度や
支援体制は、当時とは比べ物にならないくらい高まったはずなのに、
まだあの頃の私と同じ思いをして、追い詰められてしまう人が
こんなにもいるのだということに、本当にやりきれない気持ちがします。

もちろん、自閉っ子も、その他のどんな子どもも、
親の所有物ではない、1人の独立した尊厳ある人間です。
だから、東京地裁の青柳裁判長が言ったとおり、たとえどんな理由があろうとも、
その子が生きる権利を奪うことは何人にも絶対に許されません。

子どもの命を奪う権利は母親にはない、それはゆるぎない信念ですが
私には、そこまで思いつめてしまった母親の痛みや孤独が
とても他人のそれとは思えなくて、
「どうしてそんなところまで追い詰められる前に
 助けてあげられなかったのだろう」
と思うと、命を奪われた子どものためと、その命を奪ってしまった母親のために
2重の涙が出てしまうのです。

「子どもの障碍がわかった。もう将来に何の希望も持てない。
 子どもを殺して、私も死にたい」

私のサイトの掲示板には、これまで何度も、我が子の診断を
受けたばかりのお母さんたちからこんな書き込みがありました。
ここにたどりついて、その気持ちを打ち明けてくれただけでも
きっと希望がある。その気持ちを非難し、否定するだけでは
誰も救われない。
だからこそ、母親のその言葉がどれだけ自閉当事者の人たちを
傷つけるかを知りながら、私は「そういう気持ちになること」
「そういう気持ちを吐き出してしまうこと」を否定はしませんでしたし、
これからもきっとしないだろうと思います。

でも、「絶対に子どもに手をかけてはだめ、絶対に死なないで」
私はそう、訴え続けてきましたし、これからも、そう訴え続けます。
見ず知らずの相手にSOSを発信できたあなたは、きっと
お子さんを愛しているはず。今はどんなに悲しくても、あなたになら
きっとお子さんと一緒の明日への光が見つけられる。
そう、信じさせて、と。

昔、息子が本当にしゃべったりする日が来るのか、この子を育てることを
「楽しい」と心から思える日が来るのだろうか、と悩んだ日に、
今も仲間であるまつこさんがくれた言葉を、ここでは何度も
紹介していますが、

もしここを今も辛い気持ちを抱えたまま読んでくれている人がいたら、
もう一度贈らせてください。

「子どもの状態が悪いときは、それが一生続くような気がするけど、
 あとで振り返ってみると、ほんの一時期だった、というようなことが
 よくあるから」

どうか、あなたのお子さんを信じてください。
どうか、あなた自身を信じてください。
きっと、トンネルには出口があるから。きっと光は見えてくるから。