昨日の朝、M小学校の卒業アルバム兼卒業文集が出来上がったので
取りに来てください、と連絡があり(自閉っ子相手だとわかってるん
だから、もう少しゆとりをもって連絡してくれたらいいのに)
終業式を終えて帰宅し昼食を食べた息子と一緒に、
久しぶりにM小に向かいました。
ところが、ちびくま、車の中にいるときから
「ぼくはもう中学生だから、M小は卒業したんだよね」
と繰り返します。
「うん。だけど、アルバムがやっと今できたからね、取りに行くだけだよ」
「どこに取りに行くの?」
「そうだなあ。M先生、ちゃんと教えてくれなかったんだけど、
校舎に入ったらわかるんじゃない?」
「でも、ぼくはもう中学生だから、小学校には入らなくていいんだよね。
ぼくはどこで待ってたらいい?」
「あれ?校舎に入らないの?M先生、ちびくまくんに会いたいなあ、って
待ってるかもよ」
「校舎に入らなくていい。M先生に会わない」
どうやら、彼にとってM小はもう「自分の居場所」ではなくなったので、
校舎の中に入ったり、元の担任の先生に会いに行ったりする気持ちは
ない、ということのようです。
「じゃあ、お母さんが入ってもらってくるよ。ちびくまくんは
運動場か駐車場で待ってたら?」
「はい、そうします」
M小に着いて駐車場に車を停めると、ちびくまのかつての同級生K君も
ちょうど来ていて、やはり車を降りない、小学校には入らない、と
頑張っているところでした。
これは自閉っ子共通の発想なんでしょうか(笑)
しょうがないので私が1人校舎の中に入ります。幸い、玄関を入って
すぐのところに旧6年担任の先生がアルバム受け取りの受付を
しておられ、顔見知りのお子さんたちも何人かいたので、場所を
探してうろうろせずに済みました。
私の顔を見て、「あ、ちびくまくんのおばちゃんや!ちびくまくんも
一緒に来とるん?」と声をかけてくれる子もいますが、ちびくまは
はるか遠くからこちらを見守っていて、手招きしても全くこちらへは
来ないので、とりつく島もありません。
結局、K君とちびくまの分のアルバムは、ちびくまの昨年の担任
M先生が預かっているとのことで、わざわざM先生を呼びに行ってもらって
やっと手に入ったのですが、ちびくま、昨年の担任の先生の姿を見ても
嬉しそうな顔をすることもなければ、こちらに寄ってくることさえしません。
でも「もうアルバムもらったよ、お家に帰るよ」と声をかけると
すぐ私たちの前に立って車のほうに向かいました。
そして、先生にろくに挨拶もしないまま、すぐに車に乗って
「さあ、家に帰ろうね」とあっさり。
ところが。
家に戻る車の中で、ぽつりとこうつぶやきました。
「良かったねえ」
これは、ちびくまにとって何か「いいこと」があったときに、
彼がよく言う言葉です。彼が小さいころから、彼が本当に嬉しそうな
顔をしているときに、私が「良かったねえ」と声をかけていたら、
嬉しいときにはこういうのだ、と間違って学習してしまったようです。
「なにが良かったの?」
「会ったから」
「誰に会ったのが良かったの?」
「Kくん」
つまり、ちびくまは6年間、大きな行事のたびに行動を共にしてきた
K君には、久しぶりに会えて嬉しい、と思ったようなのです。
それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれれば、
もう少し再会を楽しませてあげたのに~。
自閉っ子の仲間意識って、とっても微妙で、外見的にあっさりしていて、
実は根っこはあったかい関係なのかも。
取りに来てください、と連絡があり(自閉っ子相手だとわかってるん
だから、もう少しゆとりをもって連絡してくれたらいいのに)
終業式を終えて帰宅し昼食を食べた息子と一緒に、
久しぶりにM小に向かいました。
ところが、ちびくま、車の中にいるときから
「ぼくはもう中学生だから、M小は卒業したんだよね」
と繰り返します。
「うん。だけど、アルバムがやっと今できたからね、取りに行くだけだよ」
「どこに取りに行くの?」
「そうだなあ。M先生、ちゃんと教えてくれなかったんだけど、
校舎に入ったらわかるんじゃない?」
「でも、ぼくはもう中学生だから、小学校には入らなくていいんだよね。
ぼくはどこで待ってたらいい?」
「あれ?校舎に入らないの?M先生、ちびくまくんに会いたいなあ、って
待ってるかもよ」
「校舎に入らなくていい。M先生に会わない」
どうやら、彼にとってM小はもう「自分の居場所」ではなくなったので、
校舎の中に入ったり、元の担任の先生に会いに行ったりする気持ちは
ない、ということのようです。
「じゃあ、お母さんが入ってもらってくるよ。ちびくまくんは
運動場か駐車場で待ってたら?」
「はい、そうします」
M小に着いて駐車場に車を停めると、ちびくまのかつての同級生K君も
ちょうど来ていて、やはり車を降りない、小学校には入らない、と
頑張っているところでした。
これは自閉っ子共通の発想なんでしょうか(笑)
しょうがないので私が1人校舎の中に入ります。幸い、玄関を入って
すぐのところに旧6年担任の先生がアルバム受け取りの受付を
しておられ、顔見知りのお子さんたちも何人かいたので、場所を
探してうろうろせずに済みました。
私の顔を見て、「あ、ちびくまくんのおばちゃんや!ちびくまくんも
一緒に来とるん?」と声をかけてくれる子もいますが、ちびくまは
はるか遠くからこちらを見守っていて、手招きしても全くこちらへは
来ないので、とりつく島もありません。
結局、K君とちびくまの分のアルバムは、ちびくまの昨年の担任
M先生が預かっているとのことで、わざわざM先生を呼びに行ってもらって
やっと手に入ったのですが、ちびくま、昨年の担任の先生の姿を見ても
嬉しそうな顔をすることもなければ、こちらに寄ってくることさえしません。
でも「もうアルバムもらったよ、お家に帰るよ」と声をかけると
すぐ私たちの前に立って車のほうに向かいました。
そして、先生にろくに挨拶もしないまま、すぐに車に乗って
「さあ、家に帰ろうね」とあっさり。
ところが。
家に戻る車の中で、ぽつりとこうつぶやきました。
「良かったねえ」
これは、ちびくまにとって何か「いいこと」があったときに、
彼がよく言う言葉です。彼が小さいころから、彼が本当に嬉しそうな
顔をしているときに、私が「良かったねえ」と声をかけていたら、
嬉しいときにはこういうのだ、と間違って学習してしまったようです。
「なにが良かったの?」
「会ったから」
「誰に会ったのが良かったの?」
「Kくん」
つまり、ちびくまは6年間、大きな行事のたびに行動を共にしてきた
K君には、久しぶりに会えて嬉しい、と思ったようなのです。
それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれれば、
もう少し再会を楽しませてあげたのに~。
自閉っ子の仲間意識って、とっても微妙で、外見的にあっさりしていて、
実は根っこはあったかい関係なのかも。
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