陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

<笹野観音>の紫陽花

2008-07-22 23:19:15 | 旅行
 7月19日には全国的に梅雨が明けたとの事、でも愚図ついた天候が当地ではなお続く。夏らしく時折強い太陽が射して、晴れた日は日中気温が30℃を越えることがある。そして思い出した様に、夕刻は小雨が降る。

 庭の草木は、益々緑が濃くなる一方だが、元気であった薔薇も剪定されてしまい絢爛とした花の姿は既に無く、切られた部分から若芽が顔を出している。只今、元気な花の一つは、百合の一種の「擬宝珠(ぎぼうし)」(英語名:ホスタ)だ。

 日陰を好むこの植物は、葉が大きく、その真ん中部分が白く刷毛塗りされたような感じだ。その葉の重なりは直径1mほどに広がり、50cm程の高さの茎が10本程度伸びている。茎には、擬宝珠の形をしたつぼみが下向きに幾つもぶら下がり、淡い紫色の花を咲かせる。何ともひっそりとして、落ち着きのある植物だ。

 そして、もう一つ勢いが良いのは紫陽花で、淡い青色の花を見事に咲かせている。開花時期は、関東地方に比べると1ヶ月以上の遅れ、只今が最盛期だ。それを見て思い出し、この地方の「紫陽花寺」として知られる<笹野観音>へ紫陽花の群生見物に出掛けた。

 3000株とも言われる紫陽花は、広い境内を青い色で埋め尽くしていた。殆ど手入れもしていないから野趣豊かで、鎌倉とは別種の趣である。土曜日の午前中、境内には訪れる人も殆どいない。私は、群生を分けている小道を歩きながら、小型の旅行用ディジタルカメラで気に入った形の紫陽花を写した。玉紫陽花が9割、顎紫陽花や他品種が1割と言うところか。

 暫くして、駐車した場所近くへ戻ると、ジーパン姿の中年の女性が三脚に載せた一眼レフカメラで熱心に紫陽花を写していた。ファインダーから眼を離したその女性が何気無く私を見た。おやおや、旧知のKさんだ。私は、少々驚きながら声を掛けた。「こんにちは!」

 彼女も吃驚したようであった。「あら・・」と言いながら、カメラから離れて挨拶した。そして「お久しぶりですね。お元気ですか?」と問い掛けて来た。

 Kさんと私は一回り以上齢が違う。30年前から彼女を知っているが、肩まで下げた黒髪、そして若々しい雰囲気は今も変わらないままだ。でも、彼女は50歳を越えたはずだ。共働きで、夕方のスーパーで惣菜などを買うKさんに時々出会った。

 「ええ、何とかやっていますよ。ところで、御主人を亡くされたと聞きましたが、お悔やみも申し上げずに失礼しました。御主人はお幾つだったの」
 「はい、2年前なのですが54歳でした。胃癌だったのです」
 「まだ、お若いのにね・・・。改めてお悔やみを申します。それで、今は前と同じ所にお住まいなのかしら?」
 確か、Kさん夫婦は、駅へ近い場所に住んでいたはずだ。
 「いいえ、実家のあるHT町に移りました。ここから近いんですよ」
 「そうですか。色々ご苦労があったのでしょうね。で、御両親は御健在?」
 「父はもう亡くなっていましたから、今は母と二人切りです。母も80歳を過ぎて、健康に何かと問題があって・・・」
 「大変だねぇ。それで、たまの息抜きにこうして時々写真を撮りに来るのかな?」
 「ええ、でもあまり遠くへは出られません。母が気になって・・・。ここは何と言っても近いですから、今日は午前中だけの積りで。今年の紫陽花は、時期的にもう終わりかなと思っていましたら、今日は丁度見頃で良かったわ」

 どの様に紫陽花を撮るのかと聞くと、今回は虫食いの葉の穴を通して見た紫陽花を写していると言う。ファインダーを覗かせてもらうと、葉穴が丸い緑の額縁のようになって見え、その中に小振りの紫陽花が写っていた。中々面白い構図だ。

 Kさんは、20年以上趣味の写真撮影に打ち込んでいるから、レンズの選び方、光線具合の把握など、様々な経験がある。静物、特に植物の撮影が得意で、代表作の数点を公開展示場で拝見したことがあった。ディジタル一眼レフはどうも好きになれないと語って、新しいカラーフィルムを愛機に装填した。

 四方山話をした後、ではまたと言って別れた。Kさんは、子供に恵まれなかったし、老母との二人だけの生活は単調だろうと思った。でも、彼女は健気に勤務を続けて生活し、写真撮影の同好会で何かと楽しんでいるようだ。

 夫婦のいずれかが先立つ場合、残された側には辛い思いが残る。合意して離婚する場合とは、全く異なる悲しみが襲うだろう。そして、愛情の絆が強ければ強いほど、その悲しみは途轍もなく深いはずだ。それを癒すのは、肉親しか出来ないと思う。

 半世紀前の黒澤明の名画「生きる」(1952)の中で、老妻に先立たれた主人公(志村喬が演じる)が、息子夫婦に邪険にされ、亡き妻の位牌の前で一人泣き崩れるシーンを思い出す。本人は癌を宣告され、傷む心を幾らかでも肉親に慰めて貰いたかったのだが、若い人達にはその思いやりを持て無かった。現代なら、もっと残酷な場面が生まれるだろうと想像出来る。

 年老いて、時には喧嘩しながらでも夫婦が健康で生きていられることは、何にも増して有難いことと思いつつ、私は<笹野観音>を後にした。
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