陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

9月2日は日本帝国陸海軍降伏の日

2010-09-02 23:24:28 | 大東亜戦争
 65年前の今日、東京湾上に浮かぶ米国戦艦ミズーリ(排水量48,500トン)の甲板で、日本帝国陸海軍の代表として梅津美治郎参謀総長、政府代表として重光葵外相が連合国軍に対する帝国軍隊の無条件降伏文書(休戦協定)に調印した。

 同時に、この日ポツダム宣言受諾も正式調印されている。連合国に対する同宣言の受諾は、8月14日に通告された。

 8月15日の<玉音放送>は、日本が戦いを止めることを述べられたものであり、翌日戦闘停止が大本営より下令された。連絡が遅れたり、行き届かなかった戦地では、部分的な戦闘がなお継続されたが、9月2日までには殆どの戦闘が停止された。

 9月3日から連合国最高司令部(GHQ)による日本占領が始まり、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効するまで、6年8ヶ月の占領統治期間が続いた。帝国陸海軍の武装解除は、9月2日以降、急速に進められた。

 その占領期間中に、GHQはハーグ陸戦協定に違反して、新憲法の強制的押し付け、教育干渉、言論統制を行った。我が国民は、催眠術に掛けられたように、内乱も起こさず占領統治を耐え忍んだ。

 旧ソ連は、日本との中立条約を破って8月9日に対日参戦、武器を置いた日本軍に対し、満州と北方領土で残虐な行動に及んだことを私たちは忘れてはならない。その暴戻(ぼうれい)な振る舞いは、9月2日を以って終えたが、満州と北方領土にあった帝国陸軍将兵は、理不尽にもシベリアへ長期抑留された。

 北方領土は、降伏調印後も旧ソ連軍によって不法に占領され、旧ソ連解体後はロシアが引き続き不法占拠を続けている。
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