陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

ポーランドの航空機事故でカチンスキ大統領夫妻が死亡(4/10)

2010-04-11 09:37:55 | 欧州関係
 1943年に、ナチス・ドイツは、ソ連国内のスモレンスク近郊にあるカティンの森で、ポーランド軍人の大量な遺体を発見、国際赤十字を通じて世界へ公表した。ソ連は、異常な反応を示し、ナチス・ドイツがやった虐殺だと反論した。誰が犯人かの疑問は、戦後も燻(くすぶ)り続けた。

 私は、高校生の頃に始めて「カティンの森事件」を聞いた。実際は、1940年春にソ連軍が捕虜にしたポーランド軍人2万人をスターリンとその配下が残忍にも銃殺指令を出し、カティンの森奥深くに埋め込んだのだ。スターリン体制なら、粛清が付き物なので、やりかねないだろうと私は高校生なりに思っていた。

 ソ連が崩壊した1989年以降、情報公開が進んで「カティンの森事件」の全貌が次第に見えて来た。カティンの森虐殺の他にも、ソ連内務省人事部は、ポーランド人を様々な場所で大量殺戮を行っていたのである。

 プーチン首相は、昨年「カティンの森事件」を犯罪と呼んで事実を認めたものの、現在のロシア国民にはその責任が無いとし、謝罪しなかった。これは、ユダヤ人を虐殺したのは、ナチス・ドイツであって、只今のドイツ国民には責任が無いとドイツ政府が主張する論理と同じである。

 虐殺後70年を迎えた今年4月、ポーランド政府が主催し、カティンの森で追悼・慰霊祭が行われ、ポーランドとロシアの両首相が揃って献花をした。レフ・カチンスキ・ポーランド大統領夫妻がこの行事に参加すべく、スモレンスク航空基地へ着陸しようとした時、悲劇が起きた。大統領特別機が墜落炎上し、乗員全てが死亡した。


ポーランド大統領死亡 訪問団などの96人が犠牲 航空機墜落で
2010.4.10 19:36

 インタファクス通信などによると、ポーランドのカチンスキ大統領と妻が乗ったワルシャワ発のツポレフ154が10日、ロシア西部スモレンスクの空港に向け着陸体勢に入ったところ墜落した。スモレンスク州の内務省当局者は、カチンスキ大統領を含む乗客乗員全員が死亡したと述べた。

 ロシア非常事態省は同機に96人が搭乗、うち88人が公式訪問団だったと説明した。同州の知事は着陸前に機体が樹木と接触したのが原因と述べた。テロなどの情報は今のところない。

 大統領は、第2次大戦中にポーランド軍将校ら2万人以上が旧ソ連に虐殺された「カチンの森」事件から70年を迎えるのに合わせ、ポーランド側主催の追悼式に出席する予定だった。

 カチンスキ大統領は1949年6月18日、ワルシャワ生まれの60歳。ワレサ大統領時代に安全保障担当の補佐官を務めた。2002年にワルシャワ市長、05年大統領に当選した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100410/erp1004101945009-n1.htm


 大統領専用機はツポレフ154M型(ソ連製)で、その原型の初飛行は1968年だ。ボーイング727同様、ジェットエンジン3基を搭載した180人乗りの中型機。設計が古いとは言え、飛行安定性の改良も進み、慣性航法装置などを持っている。現在でも、ロシアや東欧圏では多数使用されているらしい。

 事故当時、スモレンスク基地は濃霧で、計器着陸設備も無かったと言う。ポーランド機の操縦ミスの可能性が高い。大統領夫妻を始め、大統領府長官、国務長官(外相)、ポーランド国立銀行総裁、ポーランド軍参謀総長、海軍長官らがこの事故で逝去した(Wikipedia による)。ポーランド国民の心中を察するに余りある悲劇であった。謹んで、亡くなられた方達のご冥福をお祈りする。
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