陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

63回目の広島原爆忌

2008-08-06 06:01:30 | 大東亜戦争
 広島の原爆忌も、63回目を迎えた。唯一原子爆弾の被害を受けた日本国としては、8月6日の<広島原爆忌>と8月9日の<長崎原爆忌>は忘れてならない日であり、非人道的大量破壊兵器を用いて非戦闘員を殺戮し、放射能で広島市民を苦しめた米国へ彼らへの謝罪を強く求めたい。

 広島の<原爆死没者慰霊碑>(1952年建立)の碑文文章はおかしい。この碑文は、雑賀忠義・広島大学教授が当時の浜井信三・広島市長の依頼を受けて提案、揮毫したものだが(wikipedia による)、その文章

 『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』

の主語は一体誰なのか。もし、私たち、日本人が主語であるなら、それはおかしい。原爆は米国が落としたもの。米国がそう言うなら良く分かる。日本人なら、慰霊と平和への祈りを籠めて、

 『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返させませぬから』

とすべきである。

 主語は、世界市民と言う解釈があるが、世界市民とは何か。何処にそのような市民がいるのか。そして、何時広島市民、あるいは日本人は世界市民になったのか。世界市民=無国籍市民であれば、そのような市民は原爆投下後63年を経過した現在に至るも存在しないではないか。殺されたのは日本人、それを悲しんで慰霊碑を建てたのも日本人である。世界市民は、全く関係が無い。

 変更は不可能と言うのであれば、「過ちは 繰返しませぬから」の部分だけでも削除すべきであろう。

 1945年8月、原爆投下を命じたのは、当時の米大統領ハリー・トルーマン(民主党)である。米軍が日本本土進攻を行うに際し犠牲者を減らす、ソ連よりも強力な軍事力を保有することを示すなど様々な理由があったと思うが、当時原爆投下に強く反対した有力軍人の一人がD.アイゼンハワー陸軍元帥(後に、大統領)であった。彼は、軍人としてこの大量殺戮兵器の残虐性を見抜いていたのだ。

 トルーマンも、広島と長崎の凄まじい被害を知って、6年後の朝鮮戦争でマッカーサー総司令官が原爆使用を申し出た時、これを却下し、マッカーサーを解任した。それ以降、核兵器保有国は増えたけれども、実際に戦争で用いられた例は無い。どこかの戦争で核兵器を用いれば、それは必ず報復を招き、第三次世界大戦に発展して人類は滅亡するであろう。

 最近は、米国の振る舞いに同盟国として納得が行かない内容が増えたと思う。それは、米国の核の傘が最終的に日本をカバーしない可能性を物語る。一方、日本は核保有国に囲まれている。使用出来ない核兵器ではあるが、その保有の是非を日本国内で冷静に、かつ自由に議論する段階に来ているのではないか。

(参考)

 広島の原爆慰霊碑

 日本政府の原爆抗議文
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