猫の子にしろアザラシの子にしろ、哺乳類は乳離れするまでの間は母親の乳首
に吸いついて離れない。母親の乳の出が悪ければ、だから野生動物の子供は
成長が遅れたり悪くすると死にいたる。
人間も同じだけれど、人間には母乳の代わりに人工乳(ミルク)という手がある
から、普通は栄養失調で死ぬようなことはない。
TVで動物の子供が母親の乳にむしゃぶり付く様を見ていて、娘や息子が赤ん
坊の時を思い出した。^^!
娘の時は野生動物と一緒で母乳しか飲まず、ミルクは受け付けなかった。
乳の出が悪いとイラだって泣いたり乳首を強く噛んだりして、よく母親を飛び上
がらせたりしたのだけれど、それでもミルクは頑として嫌がった。
それに引き替え、息子(第二子)の方は出の良くない母乳には”見切り”を付け
たのかミルクの方を好んでよく飲んだ。カミサンは喜んで、ミルクを欲しがるだけ
飲ませるものだから、息子は赤子の時は丸々と太っていた。
そんなあるとき、カミサンが息子に母乳を呑ませようと乳首を口元に押しあてた。
普通なら直ぐ吸いつくはずなのに、息子は口を開かない。カミサンが無理に口に
含ませたら眉を八の字して変な顔をしていたが、やがて舌で押し出した。^^!
傍で見ていた義姉が笑い転げて、「ホラ、Tちゃん(息子のこと)そんな汚いもの
呑まなくていいから、こっちのミルク呑みなさい!」と哺乳瓶を近づけたら、それ
には直ぐ吸い付いて、また皆で大笑いになった。
この話は今でも我が家の語り草で、カミサンは「失礼ねっ!」と怒るけれど、母
親のオッパイを吐き出す赤ん坊なんて、めったに居ないだろう。(笑)
土曜日、先週採血してもらった血液検査の結果を訊きに、行きつけのクリニック
へ行った。
前回、測ったとき血圧は150で高いと云われた。今回は130だったので看護婦
さんに「低くなりました」と云ったら、「まだ高いですよ!」という。110~120くら
いにならないと正常ではないのだそうな・・・^^!
先生に呼ばれて診察室に入る。例の血液検査記録を見ながら「コレステロール
が高いですね。特にLDL(悪玉コレステロール)が高い、150超えています。下
げる薬も出しますが、普段の食事に注意してください」、と云ってパンフレットをく
れた。
先週、採血のときフト思い出したのだけれど、会社の健診では前日夜8時まで
に夕食を終え、以後検査が済むまで翌日の昼まで腹ペコにさせられていた。
それなのに、今回朝食後1時間くらいで採血したけれど大丈夫だったのだろう
か?少し怪しい気がしているのだが・・・
総コレステロール値は今回250で、うろ覚えだけれど、確か10年も20年も前
から220~230あったから、自分では少し増えただけ・・・という程度しか感じ
ない。しかし、LDLがいくら位だったかなんて全く記憶がないから、当時はいい
加減にしか考えていなかったことだけは事実である
亡くなったJinさんが、ある時「アーモンドを食べれば、コレステロールなんて直
ぐ下がるよ」と云うので、アメ横でアーモンドの大袋を買って毎日ポリポリかじっ
ていたのだけれど、Edには一向に効き目がなくて全然下がらなかった。(笑)
佐藤愛子さんが聞いたら、そういう医者のいう数字ばっかりを信じて、やたら薬
など呑んでいればロクなことにはならない、と叱られそうであるが、薬局で処方
されたコレステロールを下げる薬28日分を受け取った。10年前にもコレステロ
ール値を下げる薬なんてあったのだろうか・・・
先週はうっかりして生協で血圧測定するのを忘れてしまったので、今週は買い
ものをする前に測った。76&120だった。午前中は130あったのに、僅か4時
間後には10も下がった・・・? ホントかいな?
そういえば、看護婦さんは前回「一般の装置では低目に出るので110位の表
示でないと・・・」とか言っていたっけ。やはりこういう数値は唯の「目安」くらい
に考えておいたほうが良さそうである。
さすが漫画家の考えることは面白い。東海林さだおのエッセイ「ずいぶんなおね
だり」の中に、プロ野球消化試合の実態という話がある。
(以下に一部引用)
”消化という言葉は、生物が食べ物を吸収しやすいように変化させる働き。読書
などで得た知識を十分理解して自分のものにすること。与えられた事物を残さず
処理すること」
とあって、もともと建設的、且つ健全な内容の言葉なのだ。
その健全な言葉に「試合」をくっつけると、とたんにマイナス、かつ不健全、かつ
ふしだら、かつダラダラの言葉になってしまうのだ。
本来くっつけるべきでない言葉をくっつけて、健全であった言葉をふしだらにして
しまった最初の人はエライ。
消化試合というのはまだ辞書には登場していない。
あえて登場させると「優勝チームが決まったあとの、もうどうでもいい試合で、選
手の誰もがやる気がなくて、退屈でダラダラして、スタンドの売り子もやる気がな
くて、ビールやうどんもなまぬるい試合」
というようなことになるのだろうか。
・・・中略・・・
考えてみると、人生の後半、五十を過ぎたあたりからの人生も一種の消化試合
といえる。
消化人生ーーーー。
消化人生も、まだ辞書には登場していないが、あえて登場させると、
「先の見通しがすっかりついてしまったあとの、もうどうでもいい人生で、誰もが
もうやる気がなくて、退屈でダラダラして、カーチャンのつくる味噌汁やうどんも
なまぬるい人生」
というようなことになるのだろうか。”
云い得て妙、まさに自分の今の姿は「消化人生」そのものである。^^!
とりあえず、毎日を恙無く消化しているだけで、この先に何か明るい光でも見え
ている訳ではない。
そんな消化人生の真っ只中でも、血圧がどうのコレステロールがこうの、と医者
通いするなんて・・・無駄に無駄を重ねているようなものである。
ま、所詮人の一生は壮大な無駄の積み重ねであるに過ぎないのかも・・・