Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

レ・ミゼラブル

2009年12月07日 | Weblog

                              

遠藤周作の「侍」を読んだ。日本の統治権力が秀吉から家康に移った徳川幕府初めのころの話。

キリスト教徒の迫害は秀吉の時代にも行われたが、家康の時代に移ってからまだ間もない頃、江戸を離れた関西や北陸ではまだ布教活動は大目にみられていた。江戸でライ診療所を開くスペイン人宣教師べラスコは江戸で捕らえられて北陸に追放される。長崎の他に関東の北にも貿易の拠点が欲しかった幕府は、北陸の或る小藩に送り込み彼を利用して大船の建造技術習得とメキシコとの直接貿易をさせようとした。

彼は日本人のように策を弄する一筋縄ではいかない国においては、布教活動にも策をもって臨まなくてはならないと考えていたので、利を求める藩主の誘いに乗り協力することを約束する。

彼は通詞として働き、北陸に於ける布教活動の許可と引き換えに、日本が求める西洋の造船技術と太洋の航海技術習得の橋渡しを引き受ける。完成した船に多数の日本人商人と船乗りを乗り込ませ、メキシコへの使節団として、藩の召出し衆と呼ばれる最下層の武士4人を同道させる。使節団の使命は日本との独占的貿易をメキシコに認めさせることであった。

日本人たちは初めての太平洋横断とメキシコとの直接折衝や商取引に苦労する。利に聡い商人達は取引を成立させるためべラスコの勧めに従って洗礼をうけ、表向きはキリスト教徒の仲間入りするが、潔癖な思想の武士たち4人は拒む。

しかし苦難の末に折角辿り着いたメキシコで、使節団はメキシコとの直接貿易の許可は貰えず、更にスペインまで行かなければならないと分かる。商人たちと別れた使節団の侍3人はべラスコと共に更に大西洋を越え、苦難の末スペインに辿り着く。法王に謁見するためには洗礼を受けて、形だけでもキリストに帰依したほうが良い、というべラスコの勧めに、3人は大いに逡巡するのだが結局「お国のためになるなら・・・」と、本心からではない洗礼をうける。

けれども彼らの心の苦しみや努力も空しく、結局は日本を出発するとき命じられた使命を果たすことは叶わなかった。それは、その後日本で布教の完全な禁止とキリスト教徒の処刑や国外追放が幕府より正式に発表されたという報がスペインにも届いていたからである。

失意の中で一人は帰国途中で自害し、残る2人はようやく日本に辿り着いたというのに、国許の藩に戻ってもまるで罪人のような扱いをうける。彼らが日本を留守にしていた数年の間に幕府も藩も政局が大きく変わってしまい、彼らのこれまでの努力は全くの徒労に終わってしまった。のみならず、最後は仮にも洗礼を受けてキリストに帰依したことは使命のためとは云え重大であると咎められ、理不尽にも藩からも追放されてしまう。

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お上の命を受けて外国へ送りこまれ、お上を信じて使命を全うするべく全力で戦ってきたのに、帰ってきたら罪人とされ、ただ「お前の運が悪かった」だけで済ませてしまう政(マツリゴト)・権力者の世界の非情さは、江戸時代だったからだけではなく、現代にも生きている権力構造の恐ろしさであろう。

「召出し衆」に順ずる我々一般国民は、支配者層つまり政治家とか企業経営者たち権力者たちに騙されないよう、常に用心して付き合わなければならない。

因みに、スペインまで行かされた召出し衆3人は実在の人たちであるという。