Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

大人と子供

2011年02月17日 | Weblog

                     

欧米人と我々日本人を比べていつも思うのは、単に彼らの図体が大きいからだけでなく何気ない立ち居振る舞いや他人と話すときのマナーあるいは話す内容、更にはユーモアの精神など、どれをとっても”大人びている”ことだ。
頭の良し悪しとか教養の有り無しということでもなくて、人間としての”落ち着き”あるいは精神性のようなものの違いなのだろうか・・・よく分からないのだけれど、ついそう感じてしまう。

あるいは他人は「Edさんの唯の劣等感だ!」というかもしれない^^!
確かに終戦後の米軍による占領下にあった時代を子供ながら見てきたわけだから、アメリカ人の図体のデカさ、芝生の大きな家、大きな車、食べ物など豊かさ全てに圧倒され、憬れてきたのも事実だ。

しかしその後半世紀、日本も豊かになり、世界第二の経済大国となってから久しいし。
優秀な日本人は海外でも数多く活躍している。
自分自身でさえ外資系の会社で40年間働いてきて、彼らと長く接してきたし、仕事でも彼等より劣っとているなどと感じたことはなかった。
むしろ彼等の大雑把な製品造りに対して我々日本人のきめ細かな仕事には優越感さえ持つようになったし、仕事の上では対等に話し合えるようになった。

にも拘らずEdの目を通して見る欧米人は押しなべて我々より”大人”なのだった。もしかして子供の時に感じた「圧倒される」デカさという概念から抜け出せないトラウマなのか・・・?とも考えてみるのだけれど、やっぱりそれだけじゃあない!気がする。

家庭内、学校、社会にでてからも”教育”が違うのではないだろうか。赤ん坊の時から”個”を大切に扱い尊重するのが彼等のコモンセンスであり、日本では子供の時からづ~っと、大人になっても大事にされないのが”個”なのだ。

日本では親は子供に自分たちの価値観を押し付け従わせようとする。個性が強く、周りの子供たちと少しでも違うと恐れを抱き”みんなと同じ”であることを求める。学校でも、独りだけ変わった考えの持ち主や個性的に振舞う生徒は、嫌われたりいじめられたりはするけれど尊敬されない。

とにかく”個”が尊重されず育たない環境なのだ。だからよくTVの街頭インタビューなどでフツーのひとに意見を求めると、日本ではありきたりで”自分のない”回答しか返ってこないけれど、欧米人は殆んどだれでも”自分の意見”を持っていて堂々と喋る・・・という印象が強い。

もしかして・・・我々日本人が概して話しベタ、論争ベタなのは、だから要するに人間としてまだ”幼稚”なのだという証明
であり、”大人”の欧米人にヒケをとっている証拠なのではないだろうか・・・???