Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

魂の行方

2011年02月01日 | Weblog

                      

われわれの「体(からだ)」という物体と「心」という抽象的で実体のないものとの繋がりはどのようになっているのだろうか・・・

脳を含めて体の基本的構造は皆同じように出来ているのに、「心」に属する部分、たとえば思考、感性、性格などは何故千差万別なのだろう。物事を記憶し始めたのは(つまり自分の最も旧い記憶は)何時のころだったのかボンヤリしていて定かではないが、後から親や兄弟との話を通して推定すれば多分4,5歳だった。それ以前のことは全く覚えが無い。それが何時のころからか、考えたり、喜んだり、悲しんだり、悩んだりするようになり、自分というものを意識し始めた。

理屈としては脳の成長とともに物ごとを「記憶」するようになり、「考える」ことを始めるという事は理解できる。しかし依然として「考える」とか「感じる」とかいう実体のないことが「からだ」という物体のなかで何故、そしてどのように行われているのが不思議でならない。

むかし子供のころ、人は死ぬと魂が抜けて昇天する、夜お墓で鬼火(ヒトダマ)が見えるのはその証だ等といわれて恐がっていた。ヒトダマを実際に見たことはないけれど、知識も増えた今、死ねば肉体は滅び、「意識」も無くなるだろうことは想像に難くない。死んで生き返ったひとがいない以上、誰も証明のしようがないけれど、生まれる前が「無」であったように死後もまた「無」であろうというのは、今の自分にとって殆んど確信に近い。

中国内陸部の或る山村に”生まれ変わりの村”といわれる所があるそうである。そこでは自分が生まれる前の(つまり生まれ変わる以前の)事を憶えているひとが何人もいて、年代も住んでいる場所も異なるので当然知り得ないようなことを記憶していて、研究者が裏づけ調査してみると事実であることが判明したという。研究している人によると、実は日本にも似たような場所はあるのだそうである。私は眉にツバをつけて聞いていたけれど、カミサンは全く否定はしなかった^^!

彼女の考えは、魂は宇宙空間に存在するある種の(未だ人類に知られていない)物質あるいはエネルギーのようなものではないかという。死ぬと「魂」即ちそのある種の物質だかエネルギーだが放出されて宇宙空間に漂う。人が生まれる時、宇宙空間にあるその物質だかエネルギーだかが体内に放射されて留まるのだそうだ。大胆な仮説である(笑)。もしもカミサンが高名な理論物理学者だったら結構信じてしまうかもしれないけれど、唯のバアサンだからなあ・・・^^!

それはともかく、死を恐れたり悲しんだりしなくて済むための方便と思えば、悪くない考えだ。