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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ゼロ・グラビティ

2021-01-26 18:12:28 | 映画

 第86回アカデミー賞で監督賞と撮影賞を受賞した作品です。
 宇宙を題材としたSF物ですが、「2001年宇宙の旅」のような壮大な宇宙叙事詩でもなく、「スターウォーズ」のような痛快なスペース・オペラでもありません。
 ゼロ・グラビティ(無重力)の宇宙空間を、徹底的にリアルに再現しています。
 正味1時間24分ほどの短い作品ですし、これといって特筆するような物語性もありません。
 事故で宇宙空間に投げ出されたミッション・スペシャリストが、さまざまな障害を克服して地球へ生還するまでをCGと3Dを駆使して描いています。
 そう、これは映画というよりはよくできたゲームに近いのかもしれません。
 ただし、本当のゲームと違って生還は約束されていますし、障害の克服も偶然に頼りすぎているので、スリルはあまりありません。
 ただ、宇宙から見た地球の圧倒的な美しさや、宇宙空間や宇宙船内での無重力状態の再現が素晴らしくて、一見の価値はあります。
 残念ながら私は自宅のテレビで見たのですが、映画館のできるだけ大きなスクリーンで3Dで観たら、宇宙飛行士になったような気分を体験できたことでしょう。
 これは、ある意味映画の先祖がえりの一種なのかもしれません。
 もともと映画は、写真を動かすところからスタートしたもので、明治、大正時代の日本ではずばり「活動写真」と呼ばれていました。
 その後、文学作品の映画化などにより映画は物語性を獲得していったわけですが、この作品では物語性よりもCGや3Dによるびっくりするようなリアルな立体映像や立体サウンドを作り上げることに注力して、観客に宇宙空間を体験させるテーマパークにあるようなアトラクションとして成功を収めています。 


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J.D.サリンジャー「途切れた物語の心」若者たち所収

2021-01-26 17:38:35 | 作品論

 ここで、サリンジャーは「若い男が若い女と出会う」物語(いわゆるA boy meets a girl的物語ですね)で、二人の出会いをどのように書くかで悩む作家を描いています。
 三文ドラマ的なくだらない出会いのパターンをいくつか紹介しながら、だんだん現実的な出会いを描いていきますが、最後は実際にはそんな理想の女の子に出会っても一瞬の心の動きだけで行動にはつながらず、しばらくの間はその女の子は心の中に残っているが、やがて日常の中に埋没してしまうと述べています。
 まさに、現実(自分の経験も含めて)はサリンジャーの言う通りなのですが、それだからこそ「若い男が若い女と出会う」物語(最近はその逆の「若い女が若い男に出会う」物語の方が多いかもしれません)は、今でも小説やマンガや映画やテレビドラマやアニメやゲームなど(その大半は三文ドラマだとしても)でたくさん描かれているのでしょう。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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J.D.サリンジャー「こつはちゃんと」若者たち所収

2021-01-26 17:36:56 | 作品論

 不器用で軍隊生活に適応できない新兵を描いた掌編です。
 1917年に新兵だったバビは、何をやらせても失敗続きで、担当の軍曹に絞られます(当時のアメリカの軍隊は日本ほどには非人道的ではなかったかもしれませんが、暴力が振るわれたこともほのめかされています)。
 しかし、バビはそのたびに「こつはちゃっと覚えます」と答えて、「軍隊が好きなので、いつかは大佐か何かになって見せます」と宣言します。
 数十年後の新兵のハリも、バビとそっくりの不器用さで、へまばかりして曹長にしごかれています。
 その曹長は、ハリの父親である大佐にハリの可能性を問われて、「まったく見込みがありません」と答えます。
 この大佐が、1917年の新兵であったバビで、予言通りに大佐になったのかどうかは書かれていません。
 解説を読むと、研究者の間でも意見が分かれているようです。
 しかし、ここは素直にバビであったと読む方が自然なように思えます。
 新兵教育(あるいは教育一般)に対する皮肉を、ユーモアをこめて書いた掌編でしょう。
 児童文学でお馴染みの繰り返しの手法を用いて、物語の効果をあげています。
 サリンジャーの軍隊物は、彼の作品群の中ではそれほど優れていませんし重要でもありませんが、彼の軍隊生活や戦争体験が彼の創作に対して大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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J.D.サリンジャー「ロウイス・タギトの長いお目見え」若者たち所収

2021-01-26 17:33:51 | 作品論

 裕福な家庭に育った女性が、社交界にデビューしてからの目まぐるしい変遷を淡々と描いています。
 社交界の花形、結婚、新婚生活、精神を病んだ夫の暴力による離婚、社交界への再デビュー、二度目の結婚、口やかましい世話女房への変身、結婚生活に飽きて映画とショッピングと女友だちとのくだらないおしゃべりで暇をつぶす若い有閑マダム、新しい命を授かりみんなに大事にされる妊婦、赤ちゃんに夢中の新米ママ、その赤ちゃんを失った不幸な女性として再び社交界で注目される存在になり、最期に諦念から愛していない夫も含めてすべてを無感情に受け入れるようになった女性になります。
 こうした若い女性の遍歴を短い紙数で描ききった腕前も驚異的ですが、この作品を雑誌に発表した時のサリンジャーが弱冠二十三歳だったことにも驚かされます。
 彼が、いかに周囲の同世代の男女をさめた老成した眼で眺めていたかがよくわかります。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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J.D.サリンジャー「若者たち」若者たち所収

2021-01-26 17:32:39 | 作品論

 サリンジャーが21歳の時に、発表したデビュー作品(1940年)です。
 パーティで出会った、あまり魅力的でない女の子と、これまたパッとしない男の子の一瞬の出会いと別れを描いています。
 女の子は魅力的だった年上のモト彼(たぶん彼女の一方的な思い込みでしょう)のことを話しますし、男の子は部屋の向こう側で男の子たちに囲まれている小柄なブロンド美人が気にかかっていて会話中も気がそぞろです。
 ストーリーらしいストーリーはないのですが、当時の若者たちを、彼らの使う若者言葉で描いたところが、それまでの文学にない魅力だったのでしょう。
 この手法は、1951年に出版されて世界的な(特に日本では人気が高いです)ベストセラーになった「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で大きく開花して、サリンジャーの名前を不滅なものにしました。
 ところで、この本を初めて読んだ大学生の時には、主人公の女の子のことを読んで「壁の花」と言う言葉を思い浮かべました。
 そのころには、まだダンパ(ダンスパーティのことで、まだディスコがあまりなく、学生グループが自分たちで場所を借りて開いていました)というものがあったのですが、そこで魅力のない女の子たちは壁の花(男の子が誰もダンスに誘ってくれなくて、ずっと壁際に立っているからです)と呼ばれていたのです。
 もちろん、いくら女の子を誘っても一緒に踊ってもらえない、さえない男の子たちもたくさんいました(私自身にも苦い思い出があります)。
 それから40年以上がたちますが、今でもいわゆる婚活パーティなどで、同様の苦い経験をしている女の子たちや男の子たちはたくさんいることでしょう。
 そういった意味では、この作品で描かれた二人は、時代を超えた「若者たち」のある典型なのです。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
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