現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

田野倉くんて、誰?

2021-01-16 10:44:20 | 作品

  新聞部の編集会議の時だった。
「何か、もっとおもしろい企画はありませんか?」
 今月から部長になったぼくは、部員のみんなにたずねた。
 でも、みんなは黙っている。
 今までにみんなからあがった企画は、校外活動の報告、学校の美化週間のキャンペーン、生徒会選挙の結果、部活の対外試合の成績、……。
まったく平凡な物ばかりだった。せっかくやるのだったら、ぼくはもっと斬新な企画に挑戦したかった。
「なんか、面白くないんだよね。もっといいアイデアない?」
 ぼくは、みんなの顔を見まわしながらいった。
「うーん、そんなに凝らなくてもいいんじゃない」
 そういって反対したのは、三年二組の石岡さんだ。まったくやる気がなさそうだ。
 でも、他の部員たちも、それに賛成するようにうなずいている。みんな消去法で新聞部員になったようで、まるで情熱が感じられない。
 うちの学校では、原則として帰宅部は認められていなかった。運動部はきついから嫌。吹奏楽部や美術部も練習が面倒そう。そういった特にやりたい事がない人たちが、一番「ぬるそうなクラブ」に思えたのか、新聞部に集まったみたいなのだ。


 こういってはなんだが、ぼくだけはみんなと違っていた。実はぼくが将来なりたいものは、新聞記者だったのだ。だから、一年のときからずっと新聞部に入っていた。
でも、これまでの新聞部生活は、不本意なものだった。
先々代、先代の部長はまるでやる気がなかった。顧問の先生も、事なかれ主義だった。紙面は、学校生活における定例的なイベントの報告や学校側からの伝達事項だけで、いつもうめられていた。これでは、まるで学校の御用新聞だ。新聞の使命はどこにいったのだ!(ちょっと大げさかな)
ぼくはもっと派手な記事を書いて、みんなの注目をあびたかった。
編集会議で、ぼくは様々な提案を行った。
学校生活における不満の生徒アンケート調査。生徒たちによる先生たちの逆通信簿作成。通学区域の穴場情報マップ作製。……。
しかし、それらはことごとく先輩たちに却下された。前例がないとか、過激すぎるとかが、拒否された理由だった。
ぼくは、新聞部の現状に激しく絶望していた。
でも、
(今に見ていろ、俺たちの代になったら徹底的に改革してやる)
と、ひそかに闘志を燃やしていた。
七月になって、三年生部員が引退したとき、ぼくは部長に立候補した。
対立候補はいなかった。新聞部には、そんなにやる気のある部員は他にいなかったのだ。
例年は、互いに押し付けあってから、やっと部長、副部長が決まる。ひどい時は、くじ引きで決める時もあったのだそうだ。
こうして、ぼくははれて新聞部の新しい部長になった。

OK3.田野倉くん
「もお、もっとやる気を出そうよ」
 ぼくがもう少しでキレかかったとき、
「あのう、……」
 席の隅のほうから、おずおずと手が上がった。一年生の女の子だ。
「えーっと、麻生さんだっけ。何かあるの?」
 ぼくが怒りを押さえ込みながら聞くと、
「あの、うちのクラスに、まだ一度も登校したことのない生徒がいるんですけど、その理由を調べたら記事にならないかと思って、……」
と、麻生さんはおそるおそる話していた。
 それが「田野倉くん」だという。新年度が始まってもう一ヶ月がたとうとしているのに、まだ一度も登校していないという。
「でも、病気とか、怪我なんかじゃないの?」
と、ぼくがたずねると、
「いいえ、そうじゃないって話なんですけれど」
と、麻生さんが答えた。
「それじゃあ、登校拒否ってわけ?」
 ぼくは、急に興味をそそられてたずねた。
「それが、よくわからないんです。先生もはっきり説明してくれないし、……」
 麻生さんは、少し困ったような表情をしていた。
「いいねえ、それいこう」
 ぼくは飛びついた。他に反対する者もいなかったので、今度の特集は「田野倉くん」でいくことになった。


 それからみんなで話し合った結果、インタビュー形式で、田野倉くんの人間像を浮かび上がらせることになった。
インタビュー先は、クラスメート、担任、校長、教頭、同じ小学校の友だち、田野倉くんの両親。
それに、できたら本人。
もし、本人の言い分が聞けたら、大スクープだ。
部長のぼくから、顧問の先生の了解を得ることになった。
先生には、当然のように反対された。
例によって、前例がないだとか、内容が過激だという理由だ。それに、個人情報の保護という壁があった。
確かに、この記事には、田野倉くんの個人情報が載る可能性は大だった。
しかし、ぼくはあくまでも田野倉くんの立場に立つつもりでいた。そして、この記事が、田野倉が学校へ来るきっかけになればいいと思っていたのだ。それが、どんなに思い上がった考えだったかは、後で思い知らされることになる。
しかし、この時は、それも含めてすべてがぼく自身しか知らない事だった。
そこで、
「わかりました。それでは、他の企画を考えます」
と、顧問の先生に言って、ぼくは引き下がった。
 でも、それは表面的なことだった。学校側には秘密で取材を進めることにしたのだ。
そうすると、なんだかドキドキして、みんなもかえってやる気が起きてきた。
全員で分担して、取材することになった。
まず、真っ先に、提案者の麻生さんに、さりげなく担任の先生に様子を聞いてもらうことにした。
担任の話だと、田野倉くんはやはり登校拒否になっているようだった。
でも、原因は不明だという。
その原因を探るために、みんなの活動が始まった。
しかし、インタビューをすすめていくと、田野倉くんの多面的な人間像が浮かび上がってきた。
みんな、
(彼はこうだ)
って、決め付けるけれど、それぞれが違っていた。
(田野倉くんて、誰?)
 大きな謎が残った。

       

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