現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「子ども、文学、児童文学」子どもと子どもの本のために所収

2021-01-07 18:17:03 | 参考文献

 ケストナーは、児童文学を論じるときにいつも問題になる三者の関係について述べています。
 かつて児童文学研究者の石井直人は、「児童文学は、子どもと文学という二つの点をもとに描かれた楕円形をしている」と定義しました(その記事を参照してください)。
 ケストナーはそこまで明確に定義していませんし、引用している先人たちの文章も私は未読のため、正しく理解するのは難しかったのですが、以下のような命題が心に残りました。
「詩を書いたことのない作家は、作家ではない!」
 これが本当に正しいかどうかは、議論のあるところです。
 私の好きな児童文学作家は、18歳の時に大学の児童文学研究会に入る時に先輩から問われて答えてからまったく変わらないのですが、宮沢賢治とエーリヒ・ケストナーです。
 くしくも、二人とも児童文学作家であると同時に優れた詩人です。
 一方で、「自分は、賢治でもなく、ケストナーでもない」という自覚が、自分の児童文学者としての原点でもあります(学生のころに書いた詩のあまりのまずさに絶望したせいもありますが)。
 現代の児童文学作家で詩人なのは三木卓など限られた人たちだけで、そのために児童文学の世界から詩情がかなり失われました。
「児童図書だけを書く作家たちは、作家ではない。彼らはまったく児童文学作家ではない。」
 戦前は、日本でも、芥川龍之介や有島武郎などの一流の文学者たちが、優れた児童文学を書きました。
 しかし、戦後の児童文学運動は児童文学者だけの閉鎖的なものになり、一流の文学者たちが子どもたちにも適した作品(例えば、庄野潤三の「ザボンの花」や柏原兵三の「長い道」など)を書いても、ほとんど黙殺されています。
 80年代になると、逆に児童文学の優れた書き手たち(江國香織や森絵都など)が、一般文学の方へ「越境」していくようになりました。
「書かれる大部分の児童図書は、有害ではないとしても、むだである。パンのように重要な児童図書は書かれない。」
 これは、六十年以上前の発言とは思えないほど、現在の日本の児童文学の状況に当てはまります。

 

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
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グレイテスト・ショーマン

2021-01-07 15:27:22 | 映画

 世界で初めてサーカスを作った実在の興行師の半生を、ミュージカル仕立てで描いています。
 フリークを集めた見世物として出発したサーカスを舞台に、人と違うところを持つマイノリティの人たちも平等であることを歌い上げていて感動的です。
 おそらく実際のこの男は、そんなきれいごとではなく、単なる金儲けのためにサーカスを始めたのかもしれませんが、それを「すべての人が平等である」という今日的なテーマとより普遍的な「家族愛」をうまく結びつけていることがこの映画の成功の要因のように思います。
 同じコンビが曲を書いてアカデミー賞を取った「ラ・ラ・ランド」(その記事を参照してください)よりも、歌もダンスも格段に良く、特に集団によるダンス・パフォーマンスはキレキレでかっこいいです。
 ズンバ(ダンス・エクササイズの一種)・フリークの私としては、一緒に踊りだしたくなります。
 セリフや普通の演技だとこうは簡単に行かないようなストーリーでも、歌とダンスで演じられると妙に説得させられてしまいます。
 しかも、主役のヒュー・ジャックマンを初めとして芸達者がそろっているので、その完成度は非常に高いです。
 それにしても、アメリカ映画は、こうしたエンターテインメント作品でも、今日的なメッセージ(この映画では、マイノリティの権利を訴えることでアンチ・トランプのメッセージが隠れています)を忍び込ませるのがうまいです。
 
 

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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地上最大のショウ

2021-01-07 14:50:05 | 映画

 1952年公開のアメリカ映画です。

 こうした大スペクタクル映画を得意とする巨匠セシル・B・デミル監督が、実際に世界最大のサーカスであるリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスを舞台に、リチャード・バートン、ジェームス・スチュワートなどのオールスター・キャストで描いてアカデミー作品賞を受賞しました。

 主人公のサーカスの責任者を中心に、サーカスの花形の男女の空中ブランコ乗りなどの人間模様を描いた人間ドラマは、良くあるパターンの恋愛と仕事の両立の難しさや三角関係にすぎませんが、随所で紹介される実際のサーカスの出し物は、そのスケールも、芸のレベルの高さも、今では再現できないものばかりなので記録としても貴重です。

 もちろん、70年近く前のことですから、猛獣(ライオン、トラ、ゾウなど、ものすごい種類と数です)や人間(美女、大男、小人、巨漢、ピエロなど)の見世物小屋的な雰囲気もあるのですが、なにしろスタッフも含めると1400人以上の規模なので、その迫力は一見の価値があります。

 そういった意味では、グレイテスト・ショーマン(その記事を参照してください)の世界を、100倍か、1000倍にスケールアップしたものと考えると、近いかもしれません。

 また、当時の大スター(ボブ・ホープやビング・クロスビーなど)がチョイ役や観客として出演しているので、それを探しても楽しいかもしれません。

 

 

 

 

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皿海達哉「野口くんの勉強部屋」野口くんの勉強部屋所収

2021-01-07 13:26:37 | 作品論

 主人公のぼくは小学校六年生です。
 放課後に、友だちと六人で原っぱで楽しく草野球をやっています。
 ある日、ホームランをかっとばした野口くんの打球が、他の本と一緒に捨ててあった「野口英世」の伝記に命中します。
 その本を読んだ野口くんは、草野球をやめて一生懸命勉強をして野口英世のような医者になると言いだします。
 野口くんの草野球仲間を抜ける意思がかたい事を知って、おとうさんがいなくて貧しく自分の部屋を持っていない野口くんのために、ぼくたちは材料を持ち寄って野口くんの家の縁側に手作りの勉強部屋を作ります。
 その後、野口くんが抜けてもぼくたちの草野球は楽しく続きます。
 茂くんが、当時のアイドルグループのキャンディーズのセンターをやっていた伊藤蘭に似ているためランちゃんと呼ばれている、水島加代子さんを連れてきたからです。
 初めは応援しているだけだったランちゃんが、それまで一塁ベースだった電柱の代わりになります。
 そのため、みんなはますます草野球に夢中になります。
 なにしろ、みんなはヒットを打つたびにランちゃんにタッチできるからです。
 しかし、ぼくは、ランちゃんの表情や態度が茂くんの時だけ違うことに気が付いてしまいます。
 ランちゃんは、茂くんだけを目当てに草野球に参加していたのです。
 ぼくには、楽しかった草野球が急に色あせて見えます。
 そうこうしているうちに、茂くんも塾へ通うことを口実に(実はランちゃんと同じスイミング・スクールに入ったのです)、草野球の仲間から抜けます。
 その後も、次々に塾へ入るものが続いて、草野球仲間が減っていきます。
 ある日、ぼくは、野口くんの家が本格的な改築をはじめて、ぼくたちが作った「野口くんの勉強部屋」が取り壊されることに気がつきます。
 野口くんが一所懸命勉強をするのを見て、おかあさんも応援する覚悟を決めたのでしょう。
 その時、野口くんのホームランが野口英世の伝記にあたってそれで野口くんが勉強を始めたのは偶然ではなく、野口くん、そしてほかの仲間たちがあの楽しい草野球をやめる日が来たのは時の必然だったことに気がつきます。
 そして、ぼくも草野球をやめて、塾へ入りました。
 他の記事にも書きましたが、1984年の初めに日本文学者協会の合宿研究会に参加するために、私は1980年代初頭の現代日本児童文学を数十冊集中的に読んだことがありました。
 その中で一番衝撃を受けたのは那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)で、一番好きだったのはこの「野口くんの勉強部屋」(1981年4月1刷)でした。
 少年時代にサヨナラをする日を、これほど鮮やかに描いた日本児童文学を、私はそれまで知りませんでした(外国の作品では、ミルンの「プー横丁にたった家」やモルナールの「パール街の少年たち」のラストシーンが思い出されます)。
 私自身も、その後同じテーマでいくつかの短編を書きましたが、はたして「野口くんの勉強部屋」を超えられたかどうか、今でも確信は持てません。

野口くんの勉強べや (偕成社の創作)
クリエーター情報なし
偕成社
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