現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮澤清六「兄のトランク」兄のトランク所収

2021-01-12 18:27:39 | 参考文献

 賢治の八歳年下の弟である清六氏が、1987年に出版したエッセイ集の表題作です。
 このエッセイ集は、清六氏が賢治の全集の月報や研究誌などに発表した賢治についての文章を集めたもので、発表時期は1939年から1984年まで長期にわたっています。
 賢治にいちばん近い肉親ならではの貴重な証言が数多く含まれていて、賢治の研究者やファンにとっては重要な本です。
 このエッセイでは、大正十年七月に賢治が神田で買ったという茶色のズックを張った巨大なトランクの思い出について書かれています。
 その年、二十六歳だった賢治は、正月から七か月間上京しています。
 その間に、賢治の童話の原型のほとんどすべてが書かれたといわれています。
 賢治の有名な伝説である「一か月に三千枚の原稿を書いた」という時期も、その間に含まれています。
 賢治は、この大トランクに膨大な原稿をつめて、花巻へ戻ったのです。
 1974年の3月14日に、賢治の生家で、私は大学の宮沢賢治研究会の仲間と一緒に、清六氏から賢治のお話をうかがいました。
 なぜそんな正確な日にちを覚えているかというと、その時に清六氏から賢治が生前唯一出版した童話集である「注文の多い料理店」を復刻した文庫本を署名入りでいただいたからです。
 宮沢賢治研究会の代表をしていた先輩は、どういうつてか当時の賢治研究の第一人者である続橋達雄先生に清六氏を紹介していただき、さらには続橋先生にも事前にお話をうかがってから、みんなで花巻旅行を行ったのです。
 賢治の生家だけでなく、賢治のお墓、宮沢賢治記念館、イギリス海岸、羅須地人協会、花巻温泉郷、花巻ユースホステル(全国の賢治ファンが泊まっていました)などをめぐる濃密な賢治の旅でした。
 私はスキー用具をかついでいって、帰りにみんなと別れて、なぜか同行していた高校時代の友人(宮沢賢治研究会のメンバーではなかった)と、鉛温泉スキー場でスキーまで楽しみました。
 その旅行の前に、代表だった先輩は、「清六氏にあったら賢治先生と言うように」とかたくメンバーに言い含めていましたが、当日はその先輩が真っ先に興奮してしまって、「賢治」、「賢治」と呼び捨てを連発してひやひやしたことが懐かしく思い出されます。
 清六氏は、37歳で夭逝した賢治とは対照的に、2001年に97歳の天寿をまっとうされました。
 その長い生涯を、賢治の遺稿を守り(空襲で生家も焼けましたが、遺稿は清六氏のおかげで焼失を免れました)、世の中に出すことに尽力されました。
 清六氏がいなければ、今のような形で賢治作品が世の中に広まることはなかったでしょう。

兄のトランク (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房
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アグネス・ザッパー「愛の一家」

2021-01-12 15:14:38 | 作品論

 1907年にドイツで書かれた児童文学の古典のひとつです。
 2011年に出た完訳版で、約五十年ぶりに読んでみました。
 私が1960年代の初めにこの本を読んだのは、姉たちのために毎月家で購入していた講談社版の少年少女世界文学全集のある巻に収められていたからです。
 おそらく抄訳だったのでしょうが、今回読んでみて知らないエピソードが出てこなかったので、かなり良心的なものだったのでしょう。
 そういえば、同じ全集に入っていたケストナーの「飛ぶ教室」「点子ちゃんとアントン」「エーミールと軽業師(ケストナー少年文学全集では「エーミールと三人のふたご」というタイトルになっています)」の巻(幸運にもまるまる一巻がすべてケストナー作品でした)は私の子ども時代の最愛の本でしたが、大学生になって真っ先に大学生協でケストナー少年文学全集を買ってそれらの作品を完訳を読み直しても、ほとんど違和感がありませんでした。
 さて、このお話は、貧しい(といっても、昔のことですからお手伝いさんはいるのですが)音楽教師のペフリング一家の七人兄弟(男四人、女三人)が、ほがらかで頼りになるおとうさんとやさしくて信仰心に富んだおかあさんの愛情に育まれて成長していく姿を描いています。
 第一次世界大戦前の古き良き時代のドイツの庶民の暮らしが、長い冬の風物を背景に丹念に描かれています。
 私が初めて読んだ時でも、書かれてから五十年以上たっていましたが、あまり違和感なく読めたのはそのころの日本の一般的な家庭と共通点があったからでしょう。
 当時の日本の家庭を描いた作品としては、庄野潤三の家庭小説(「絵合わせ」(その記事を参照してください)「明夫と良二」「夕べの雲」など)がありますが、この「愛の一家」もどこか庄野作品と共通するものがあるように思われます。
 社会が複雑化した現代の日本では、この作品のような「おとうさんらしいおとうさん」や「おかあさんらしいおかあさん」や「子どもらしい子ども」を求めるのは困難かもしれませんが、東日本大震災や福島第一原発事故やコロナなどを経て、家族の大切さが見直されている時期にこういった作品を読んでみるのも、たんなるノスタルジーを超えた意味があるのではないでしょうか。

愛の一家 (福音館文庫 物語)
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福音館書店
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高岡 健「はしがき うつ病論の現在と双極Ⅱ型―働くことの卑怯なとき」うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺所収

2021-01-12 09:59:54 | 参考文献

 2009年2月に発行された「うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺」のはしがきです。
 現在のうつ病が「双極Ⅱ型」(軽躁とうつを反復する気分障害)が主流になっていることと、「この障害の発症が単なる自己責任ではなく、組織や共同体と個の生き方の間で発生する、公害である」ことを明記しています。
 そして、1992年のバブル崩壊や2008年のリーマンショックなどによる新自由主義経済の崩壊との関係についても触れています。
 児童文学者として特に興味を引いたのは、宮沢賢治の「もうはたらくな」という詩の以下のような一節を引いていることです。
「もう働くな、レーキを投げろ」、「働くことの卑怯なときが、工場ばかりにあるのではない」
 そうです。
 「双極Ⅱ型」を初めとする「うつ病」は、個人やその家庭といった狭い領域に責任があるのではなく、それらと組織(学校や会社など)や共同社会(国や地方自治体)との関係性において発生するのです。
 別の記事(内海 健「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」)でも書きましたが、今の子どもたちや若い世代を取り巻くいろいろな問題(いじめ、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ネグレクト、虐待、ひきこもり、登校拒否、拒食、過食、自傷、自殺、薬物依存、犯罪など)も、この障害と同様に、自己責任(被害者および加害者)が問われることが多いのですが、実際は社会全体の問題として捉えなければなりません。
 そして、賢治が80年以上も前に書いたように、児童文学者は本来そういった視点を持っていたはずです。
 しかし、最近では、個人の自己責任ばかりに言及して、売れさえすれば体制や社会におもねった作品でも評価されているのを見ると、児童文学の世界も明らかに「逆コース」を歩んでいるようで、おおいな危機感を持っています。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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浅野弘毅「あとがき」うつ病論 双極Ⅱ型障害とその周辺所収

2021-01-12 09:57:26 | 参考文献

 うつ病の背景となる社会の変化とそれに伴ううつ病の変化について概観し、最後に参考文献をリストアップしています。
 著者の社会認識の古さや、歴史認識のずれ、そして現代の社会に対する認識の欠如に驚かされます。
 著者は1946年生まれなので、2009年の出版当時はまだ62、3歳だったわけで、そんなに老け込む年ではなかったはずなので、勉強不足としか言いようがありません。
 まず、現代を高度消費社会と捉えているのが古すぎます。
 同じ精神科医の大平健が「豊かさの精神病理」を出版したのは1990年で、筆者がここに書いていようなことは大平が描写した1980年代のバブル時期の感覚です。
 また、能力主義の労務管理システムが、あたかも1980年代にはとりいれられたように書かれていますが、実際に日本に導入されたのはバブル崩壊後の1990年代です。
 私は外資系のグローバル企業に勤めていたので、一般の日本企業よりはかなり早かったのですが、それでも1990年に入ってから導入が始まり、完全能力型のグローバル化(それでもローカルルールで若干の年功序列が残っていました)が完了したのは2000年代に入ってからでした。
 この本は現在問題になっている双極Ⅱ型障害を中心に書かれているはずなのですが、この「あとがき」の文章で書かれているうつ病と社会現象とのかかわりは旧来のメランコリー単極うつ病が中心になっていて、双極Ⅱ型障害の時代背景になっているバブル崩壊やこの本が出る直前のリーマンショックなどについてほとんど考慮されていません。
 「あとがき」に限らず、この本を通して読んで感じたのは、タイトルには今注目されている双極Ⅱ型障害を掲げているものの、個々の論文は必ずしもそれに関連しているものばかりではなく、かなり古い「うつ病」観を持った著者(特に年配の人たち)も多いようです。
 特に、「はしがき」で掲げられた、双極Ⅱ型障害は社会のひずみによる「公害」だという認識が、著者の間で共有されていなかったのには、「羊頭を掲げて狗肉を売る」ようで、がっかりさせられました。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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