現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ウィリアム・ウィーガンド「七十八本のバナナ」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-12 10:19:12 | 参考文献
 1962年に出版された批評論文集に収められた、サリンジャーの登場人物たちは「反体制者」であるが、その主な原因は精神的な「病気」に罹っているからだととらえて、作品はその救済方法について書かられたものだと解釈して論じています。
 タイトルの「七十八本のバナナ」とは、「バナナ魚にもってこいの日」(その記事を参照してください)において、「バナナ魚がバナナを七十八本も食べたために、豚のように太ってしまい、バナナを貯蔵してある室(むろ)から出られなり、バナナ熱に罹って死んでしまう」(その後のシーモァの自殺を暗示していると言われています)と、シーモァがシビルに話すシーンから来ています。
 この「バナナ熱」に、シーモァを初めとしたサリンジャー作品の大多数の主人公たちが、強弱の違いはありますが罹っていて、そのために「社会的不適合」を起し、結果的に「反体制者」になっているとしています。
 この「バナナ熱」は、一般的には「うつ病」と考えられていましたが、現在の診断基準に照らし合わせれば、おそらく双極性障害(うつ症状と躁症状が繰り返されます。詳しくは関連する記事を参照してください)だと思われます。
 こうした著者の観点では、非常に論理的で説得力のある批評になっています。
 しかし、50年以上前に書かれた文章なので仕方がないのですが、一部社会的な影響(戦争、世俗主義、小市民的な生き方など)を認めつつも、「先天的なものであって、社会的なものではない」と、断じています。
 そのため、「バナナ熱」の救済方法についても、「反抗」、「神との再結合」を経て、「ズーイ」(その記事を参照してください)における最終的な「社会との再結合」を高く評価しています(おそらくこの評論は、「シーモァ ― 序論」(1959年)が出る前に書かれたと思われます)。
 当時の一般的な考えとして、「社会に適合できない者たち」の方だけを救済(治療)すべきで、そうした患者を生み出した「社会」自体を救済(変革)すべきだという発想はなかったのでしょう。
 ところが、サリンジャーが先駆的にとらえた(アメリカ社会が世界で初めて直面した)現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティのなさ、社会への不適合など)は、特殊な人(著者の言葉では感受性が過大な人)が罹る個人的な「病気」ではなく、多くの人たち(特に若い世代)が罹る社会的な「病気」なので、その病理を解析して救済策を生み出すためには、社会的な考察が必要なのです。



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ウィリアム・ウィーガント「J.D.サリンジャーの騎士道」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-12 09:32:49 | 参考文献
 1962年に出版された批評論文集に収められた、それまでのサリンジャー作品と書き方を変えたグラス家サーガ三部作「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1955年)、「ズーイ」(1957年)、「シーモア ― 序論」(1959年)についての、主に手法に関する論文です(作品については、それぞれの記事を参照してください)。
 「フラニー」までのサリンジャーの作品(長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、中編「倒錯の森」を除くと、すべて短編)は、初期の習作(その段階で雑誌に載って、原稿料ももらえてしまうのだから、それはそれですごいことなのですが)から、高級誌「ニューヨーカー」(短編一作の原稿料が2000ドル(約22万円、1950年前後ですから、今の貨幣価値で言えば200万円ぐらいか?))にふさわしい非常に洗練されたものへと変化していっています。
 しかし、グラス家サーガ、特に31歳で自殺した天才シーモァを語るためには、従来の手法では書き得ないために新しい手法に変わっていったとしています。
 そのもっとも重要なものとして、作中へのサリンジャーの分身であるバディの登場をあげています。
 また、「シーモア ― 序論」では、シーモァとバディの一体化が感じられるとしています。
 それは当然のことで、私自身は、シーモァはサリンジャーの精神(理想像でもあり、輪廻を通して永遠に追及されものと考えています)を、バディはサリンジャーの肉体(老いてやがては死んでいく、今生限りのものと考えています)を象徴していて、「バナナ魚にもってこいの日」のシーモァの自殺で1948年に分裂したものがで、グラス家サーガを通して回復していき、17年の時を経て、「ハプワース16、一九二四」で1965年に再び合体していったのだと思っています。
 その理由としては、「ハプワース16、一九二四」における、シーモァのバディへの激しい賛美があげられます。
 ここに、サリンジャーが今までの生き方(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を生み出した流行作家)への強い肯定と、それと同じくらい強い決別の意志を示すことにより、クラス家サーガとサリンジャーの作家人生は完結したと考えています(最近、サリンジャーの遺族が膨大は遺稿を出版すると発表したので、この私の考えが根底から覆されるのではと、内心怯えています)。
 サリンジャーの書き方の変化については、私自身は、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」では、従来のストーリー性の名残を残していて、従来の読者でも楽についていけたと思っています。
「ズーイ」では、ズーイの長い独白(というよりは、バディの語りとシーモァの遺訓との合体)が大半を占めていますが、グラス家の中だけという限られた空間ではありますがまだ演劇的要素が残っているので、大半のサリンジャー・ファンは大丈夫でしょう(別の記事に書いたように、一部の評論家からは失敗作と言われています)。
 しかし、「シーモァ ― 序論」では、バディによるシーモァの紹介という形になっていて、一般の読者にはかなり抵抗があったと思われます(評論家は口をそろえて、失敗作と言っています)。
 その後、1965年に発表された「ハプワース16、一九二四」では、この書き方はさらに徹底されて、あたかもシーモァの百科事典のようになっています(この作品になると、今までは好意的に読んでいた評論家も、シーモァの超人性についていけなくなっています)。
 他の記事にも書きましたが、文学作品は作者の自己表現であると共に、一種の商品でもあります。
 これをマーケティング用語でいうと、プロダクト・アウト(作者の中にシーズ(種)があって、そこから作品が生み出される)か、マーケット・イン(読者ないしは出版社からのニーズがあって、それに合わせて作家が作品を書く)か、ということになります。
 たいがいの職業作家は、その両方を考慮して、妥協的な作品を書くわけです(当然、生活もかかっている訳ですから)。
 しかし、サリンジャーの場合は、他の記事にも書きましたが、性格的にも、経済的(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の印税が、1951年から亡くなる2010年まで(実際には現在も)、使い切れないくらい(サリンジャーは、1953年に田舎に引っ越して以降は、生涯質素な生活を送っていました)入り続けています)にも、「マーケット・イン」の作品を書く必要はなく、読者や評論家たちが望むような「ニューヨーカー」誌的な作品を二度と書くはずがなかったのです。
 
 
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