現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

アーサー・マイズナー「J.D.サリンジャーの恋歌」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-01 10:45:00 | 参考文献
 この論文の発表年度の記載はない(この論文集の大きな欠点です)のですが、元ネタになっているアメリカの論文集は1962年の発行なので、「ハプワース16、一九二四」(その記事を参照してください)の発表前で、いわゆるグラス家サーガがこれからも書き続けられるだろうと思われている時期に書かれたものです。
 題名にある「恋歌」の意味は、サリンジャーがアメリカ社会に属する様々な人々の話し言葉や物や仕草や行動の中に「恋歌」を見いだして、それを表現できる詩人であることを指しています。
 そして、それを見いだすことによって、アメリカ生活観といった抽象観念をつかまえ、それが「現代の現実生活のなかに、習慣的行動のなかに、われわれの言葉のなかに生きていることを見たこと、そしてわれわれにもそれを見させる方法を発見したこと」をサリンジャーの業績としています。
 こうした、アメリカの生活史や文学史におけるサリンジャーの位置づけに関する内容も興味深いのですが、「グラス家サーガ」の中に順不同(発表時期やグラス家サーガにおける年代もバラバラです)に散りばめられたグラス家七人兄妹の対する非常に正確な紹介が興味深いです。
 グラス家サーガをすべて読んでいる読者でも、「あれ、こんな記述あったかな」「どの作品に書かれていたかな」と思う記述も含まれています。
 簡単にユニークな点だけを紹介すると(一般的な紹介は、角川文庫版の武田勝彦による解説の記事を参照してください)、
 シーモァ(長男):自殺のいきさつに関して時系列に紹介されていますが、一番の重要人物であるシーモァに関しては、いろいろな所ですでにたくさん論じられているせいか、特に新しい記述はありません。
 バディ(次男):本名がウェッブじゃないかとしています。
 ブー=ブー:「そのふざけた名前はともかく、また全体的に美人らしさに欠けるということも(注:この部分は誤訳しているので「なくは」を追加すべきでしょう)ないけれど、小づくりな顔はとてつもなく敏感繊細な感覚を感じさせて永遠に忘れがたく、その点からすれば、彼女はまさに人の運命を決定する瞠目の美女ということになる」「グラス家の他の子どもたちよりもうまく世間と妥協しているようである」としています。
 ウェイカーとウォルトの双子については、「ウェイカーに雨が降りそうだと言おうものなら、彼は目がうるんで来る」「ウォルトはベシー・グラス(七人兄妹の母親です)の「唯一の陽気な息子」」と対照的に紹介しています。
 ズーイ(五男)とフラニー(次女)については、「フラニー」と「ズーイ」というそれぞれの作品(それらの記事を参照してください)の中で詳細に描かれているので、二人が「非の打ちどころのない美貌」と「人並すぐれた容姿の持ち主」で、ともに演劇関係(テレビの主演俳優と舞台女優)の仕事をしているといった共通性が強調されています。


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