現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ウォーレン・フレンチ「著者まえがきと感謝のことば」サリンジャー研究所収

2019-09-21 20:15:30 | 参考文献
 1963年に出版された、非常に有名なサリンジャーについての論文集で、多くの後継本で引用されています。
 興味深いのは、この論文集が、「何が書かれたか」ではなく、「どのように書かれたか」について分析していることです。
 つまり、レトリック(修辞)について作品を分析するのですから、サリンジャーのような作品を書きたい人(かつて私もそうでした)には非常に参考になりますし、いわゆる伝記本などのようにルポライターのような人たちには全く書けないものです。
 私はサリンジャーの作品を原書で読むことはできますが、そのレトリックを分析できるほどの英語の素養はないので、細かなニュアンスは翻訳書に頼らずを得ません。
 そういった意味でも、この本はサリンジャー作品の真に芸術的な価値を知る上で必須の本です。
 なお、感謝のことばによると、サリンジャー作品の新の読者である現役の大学生や伝記的文献的な研究者の協力も得ているようなので、まさに鬼に金棒(死語かな?)です。
 この本が対象としているサリンジャー作品は、1965年発表の「ハプワース16、一九二四」以外のすべての作品です。
 この本の改訂版は1976年に出ているそうですが、1979年出版の日本版の訳者あとがきによると、年表などのわずかな部分が改訂されているだけで、「ハプワース16、一九二四」についての分析はないそうです。
 著者の意図はわからないのですが、例によって「ハプワース16、一九二四」は、ここでも継子扱い(差別用語ですみません)のようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒井千次「父という時計」老いのかたち所収

2019-09-21 12:14:20 | 参考文献
 2005年に読売新聞の夕刊に連載が始まった、私も愛読させていただいている「時のかくれん坊」という随筆の、記念すべき第一作です。
 その時、筆者は73歳ぐらいではなかったかと推察しますので、「老い」という未知の領域へ差し掛かった時に、その「老い」について著者の父上(亡くなられたのが90歳のようですので、当時としては非常にご長寿です)を基準(著者の場合は30歳差)に考えられているのが、自分の経験からしても非常に興味深いです。
 私の場合は、82歳で亡くなった父と37歳差なのですが、1999年に亡くなった時は、自分が基準にすべき残された37年という年月がずいぶん長く感じられたのですが、それから20年以上が経ってしまうと残された時間が非常に貴重で愛おしく感じられます。
 私自身も、身体的精神的な衰えは既に実感しているのですが、著者が感じたような本格的な「老い」の時間はこれからです。
 そんな時に、人生の先輩である著者の、非常に自覚的であり客観的でもある「老い」についての考えや描写に接することは、これから「老い」を生きる上で、おおいに勉強になります。
 まあ、そう大げさに考えないでも、この随筆のような滋味のある文章に接する機会は、最近は新しく書かれたものではほとんど絶無ですので、それだけでも非常にありがたいです。
 余談になりますが、2018年の12月に、帝国ホテルで開かれたある文学賞(児童文学部門もあって、友人が受賞したので招待されていました)の受賞パーティで、著者と偶然お目にかかる機会があり(その文学賞の過去の受賞者のなので招待されていたようです)、少しお話しできました。
 パーティの途中で退席した時に、タクシー乗り場で、一人でタクシーの後部座席に乗り込もうとして、苦労されている著者にでくわしてしまいました。
 思わず手をお貸ししようとも思ったのですが、そばのドアマンが平気な様子なので、遠慮してしばらく様子を見守っておりました。
 しばらく時間がかかったものの、なんとか著者が一人で乗り込んで、タクシーは走り去っていきました。
 おそらく、著者は、随筆に書かれているとおりに、そしてこの時のように、できるだけ他の人の手を借りずに、「老い」の生活を立派に営んでいらっしゃるのだなあと、励まされられる思いが非常にしました。
 おしゃれなスーツをダンディに着こなし、立ち姿の美しいその時86歳の著者は、「老い」の一つの理想形なのかもしれません。
 著者と談笑している時に、まわりでコメツキバッタのようにへこへこしていた、そのくせこの随筆も著者の当時近刊だった小説も読んでいないのがバレバレの、その出版社の編集者たちの醜い姿と対照的だったせいもありますが。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繁尾 久・佐藤アヤ子「はしがき」J.D.サリンジャー文学の研究所収

2019-09-21 11:25:57 | 参考文献
 1983年に出版されたサリンジャーについての論文集のはしがきです。
 最後の「ハプワース16、一九二四」が発表された1965年から18年もたっているのに、少なくとも日本では当時もサリンジャーの人気は衰えていなかったようです。
 もっとも、亡くなった2010年以降にはまた出版ブームが起きていますから、いつまでサリンジャーが読まれ続けるのかは、非常に興味深い現象です。
 さて、このはしがきを見ると、すでにこの時点で夥しい論文が世界中で書かれているようですが、それらを渉猟する出発点としてもこの論文集は有効なようです。
 その一方で、サリンジャー研究で頭の痛い、日本での作品名や登場人物名などの不統一は、ここでも匙を投げています。
 いずれ、このブログで、マージェリー・シャープのミス・ビアンカ・シリーズについてまとめたように(その記事を参照してください)、作品名や登場人物名などについてのまとめもやってみたいと思っていますが、いつになることやら私にもわかりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サキ「ピザンチン風オムレツ」サキ短編集所収

2019-09-21 09:58:19 | 作品論
 自称社会主義者(かつての日本では、「心情左派」と呼ばれていました)のブルジョアの女主人(そのため、召使いや料理人は組合員だけを雇っています)が、賓客(シリアの大公)を迎えるパーティで、召使たちの組合によるストライキに翻弄されて、おそらく精神疾患に罹ってしまいます。
 まず、スト破りの料理人を大公の好物のピザンチン風オムレツのために雇ったために、反発した召使たちの組合のストライキのために身支度ができなくなります。
 やむなくその料理人を解雇したら、今度はその男が属する料理人の組合が反発してストライキをして、晩餐を用意できなくなります。
 口先だけで行動の伴わない金持ちの社会主義者を両断し、本当は保守主義者のくせに生活のためだけのご都合主義的な組合員たちの滑稽さも、返す刀で鮮やかに切り捨てています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイーゼロッテ・エンダーレ「四つのステーション 付、病人のステーション(ルガーノ)」子どもと子どもの本のために所収

2019-09-21 08:06:50 | 参考文献
 ケストナーの簡単な伝記です。
 といっても、生前に発表されたもので、付録の「病人のステーション」のルガーノはケストナーが静養していたサナトリウムのあった場所ですが、この時は無事に回復しています。
 「四つのステーション」とは、ドイツのドレースデン、ライプチヒ、ベルリン、ミュンヘンのことです。
 ケストナーは、ドレースデンで生まれ、ライプチヒの大学で学んで作家としてデビューし、ベルリンでナチスに焚書(他の記事を参照してください)と執筆禁止(他の記事を参照してください)をされるまで活動(彼の代表作のほとんどはこの時期に書かれました)し、ミュンヘンで戦後の活動を再開します。
 ドレースデンの部分を読むと、「エーミールと探偵たち」のエーミール・ティッシュバインや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーの中にケストナー自身がいることがよくわかります。
 母親思いの優等生で、貧しいけれど明るく生きている少年像が、彼自身であり、また彼の理想なのでしょう。
 そのあたりは、彼自身が書いた「わたしが子どもだったころ」に、より詳細に描かれています。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする