現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

神沢利子「ちびっこカムのぼうけん」

2019-09-06 08:46:20 | 作品論
 出版は1961年ですが、後半の「北の海のまき」は1960年に「母の友」に発表されています。
 石井桃子たちが「子どもと文学」で提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」を体現した最初の作品と言われていますが、神沢は石井たちのグループとは直接的には関係なく、独自にこの世界を作り出したものと思われます。
 1975年に出た「現代児童文学作家案内」によると、神沢はもともとは詩人であったので、このような叙事詩的な趣を持った作品を作り上げられたのかもしれません。
 「児童文学宣言」や「子どもと文学」で否定された近代童話の大御所、小川未明も、かつて自分の童話を「わが特異な詩形」といっていましたが、そちらは典型的な抒情詩です。
 この作品のような散文性を持った叙事詩的な物語は、他の同時期に発表された児童文学の作品とは異なり、スケールの大きな新しい児童文学の可能性を拓くものでした。
 私が読んだ「新・名作の愛蔵版」の「あとがき」で神沢自身が述べているように、サハリンや北海道での幼少期の体験と、ステンベルクマンの「カムチャッカ探検記」を読んだことが、このカムチャッカを舞台にしたこの冒険物語を生み出したのでしょう。
 この作品は、カムがかあさんの病気を治すためにイノチノクサを探し出すために、クジラをつまみあげてあぶって食べているという大男ガムリイから金のユビワを奪いに行く「火の山のまき」と、ガムリイにシロクジラに変えられてしまったとうさんを救いに行く「北のまき」の二部に分かれています。
 とにかく冒頭から、冒険に次ぐ冒険で、読者に息つく暇を与えません。
 また、人間だけでなく、クマ、トナカイ、ジネズミ、ヤギ、シロタカ、オオワシ、サケ、アザラシ、クジラ、イルカ、タポルケ、シャチといった北方の動物たち、さらには、オニや岩の怪物などの超自然的なものまでが縦横無尽に活躍します。
 お話の型としては「桃太郎型」で、動物などの仲間をだんだんに増やしていって、最後には敵(この物語では大男ガムリイやシャチ)を成敗して、めでたしめでたし(この物語では病気のかあさんを元気にして、シロクジラになっていたとうさんをもとの姿に戻します)といった単純なものです。
 しかし、その過程で、子どもたちの大好きな繰り返しの手法を駆使して、たっぷりとハラハラドキドキさせて楽しませてくれます。
 また、山田三郎のスケールの大きなしかも緻密な挿絵が、物語世界の魅力を余すところなく伝えてくれます。
 そう、この本は、現代日本児童文学で最初に大成功をおさめたエンターテインメント作品なのです。
 私が読んだ本は、新・名作の愛蔵版の2001年1月の三刷ですが、1961年に出た最初の本は1968年までに22刷、1967年に出た名作の愛蔵版では1999年までになんと115刷、それ以外に文庫本も出ています。
 同じころに書かれた「現代児童文学」としてより評価が高かった作品(特に社会主義リアリズムの作品)は、とうに歴史に淘汰されて読まれなくなっているものが多い中で、この本は五十年以上にわたって読み継がれ売り続けられているロングセラーです。
 本の評価というものは本当に難しいものだと、つくづく考えさせられてしまいます。
 児童文学研究者の本田和子は、1975年に出版された「現代児童文学作品論」の中で、北欧神話の世界を舞台にしたリンドグレーンの「ミオよ、わたしのミオ」と比較して、以下のように否定的な評価を下しています。
「作者の提供した「神話的世界」とは、「その面白さ」が、ファクターアナライズ的に分析され、とり出された要因が合理的に組み合わされたもの。即ち「神話の要因と神話的形象を借りた『子どもの文学的』世界」だったのである。そして、この「子どもの文学的世界」が、余りにも公式的・モノレール的でありすぎたのであった。
 ここに、この作品の限界をみることが出来る。即ち、一九六一年という作品成立の時代は、「子どもと文学」による創作理論が、新鮮に、児童文学界を魅了した時代なのだった。」
 まず、この本のようなエンターテインメント作品を、リンドグレーンの作品群の中でも最も純文学的な「ミオ」と比較して否定的な評価を下すのは、フェアなやり方ではないと思います。
 おそらく当時の本田には(実は私自身もかつてそうだったのですが)、エンターテインメント作品を正当に評価する批評理論がなかったのだと思われます。
 また、引用文中の「子どもの文学的」といのは、前述した石井桃子たちの「子どもと文学」の創作理論に基づいて書かれた作品という意味で使われていると思われますが、先ほども述べたようにこの本の初出が「子どもと文学」が出版されたのと同じ1960年であることを考えると、本田の論には無理があるように思えます。
 本田に限らず実作経験のない児童文学の研究者や評論家は、新しい児童文学理論が出るとただちにそれが創作に反映されると考えがちですが、それは完全な誤解です。
 まず、児童文学論や評論を自分でやっていない純粋な創作者は、評論家や研究者が思っているほど児童文学理論や評論の影響は受けていません(だいいち読んですらいないことが、圧倒的に多いです)。
 また、仮に創作者が自分でも児童文学理論を考えていたり、同人誌などで研究者や評論家と一緒に活動している場合でも、その理論を創作に反映するには試行錯誤を経てある程度の時間がかかります。
 例えば、1953年の「児童文学宣言」で示された「少年小説」が初めてまとまった形になった山中恒の「赤毛のポチ」が発表されたのは、1955年前後でした(出版されたのはさらに遅く1960年です。)。
 また、先ほど述べたように、「子どもと文学」が出版されたのは1960年ですが、そのための議論は1955年ごろから始められていて、その成果としてメンバーのいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」が出版されたのは1959年です。
 このように、創作者が新しい創作理論を自分のものとして消化し、作品に反映するのには数年はかかるものなのです。
 松田司郎は、1979年の「日本児童文学100選」で、この作品の「おもしろさ」と幼年の読者(読解力などの違いにより、現在では当時よりも年長の読者が中心になっていることでしょう)に着目して、ガネットの「エルマーのぼうけん」などを引き合いに出して、以下のように「子ども読者」の立場に寄り添った批評をしています。
「この作品の意図は小さな読者に冒険そのもの(冒険を支える魔法の世界)をスピーディに展開してみせることにあり、冒険後の目的成就もまさにハッピーエンド(物語完結の均衡)として徹底させている。」
 本田と松田の批評が出てからでも、すでに四十年以上が経過しています。
 先ほど述べたように、この本が今でも版を重ねているということは、少なくとも「子ども読者」の評価はこの作品を古典として認めていることになります。


ちびっこカムのぼうけん (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社


 
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