現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

武田勝彦「年譜」フラニーとズーイ解説

2019-09-07 10:17:11 | 参考文献
 鈴木武樹訳の角川文庫版「フラニーとズーイ」(1969年)の解説に付けられた年譜です。
 1919年1月1日の誕生から、「ニューヨーカー誌」1965年6月19日号に発表された「ハップワース16,一九二四」(その記事を参照してください)までの、かなり詳細なサリンジャーの年譜がまとめられています。
 特に、1940年のデビュー作「若者たち」(その記事を参照してください)から、最後の作品の「ハップワース16,一九二四」までの全作品の初出と単行本化の情報がすべて掲載されていますので、相互の関係を知るうえで非常に参考になります。
 また、参考事項として、著者が選んだ、各年のアメリカの社会、文学、語学のトピックスを中心として、日本文学、世界史上の重要事項も書かれているので、当時の時代背景や文学との関係を知ることもできます。
 なお、この年譜は、同じ訳者の角川文庫版「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)にも転載されています(この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。詳しくは、それぞれの事を参照してください)。
 さらに、この年譜は、東京白川書院「サリンジャー作品集」(1981年)にも転載されていますが、以下の文章が追加されていて、サリンジャーファンを心配させました。

1968年(昭和43年)49歳 妻クレアが精神的打撃を与えたとの理由で離婚訴訟を起し、サリンジャーはそれに同意した。

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武田勝彦「参考文献」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ解説

2019-09-07 10:15:20 | 参考文献
 鈴木武樹訳の角川文庫版「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」の解説に付けられた参考文献です。 
 1969年9月までに日本で発表された、サリンジャーに関する翻訳、単行本・定期刊行物・大学紀要などに所収された関係文献、大学生の教材用のテキストなどを、著者ができうる限り収録した労作で、サリンジャーを研究しようとする人間にとっては非常に参考になります。
 なお、この「参考文献」は、同じ訳者の角川文庫版「フラニーとズーイ」(1969年)に掲載され、「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)にも転載されていますが、このシリーズの最後の出版のこの「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)のものだけに、補遺としてそれ以降1971年途中までのリストが追加されていますのでご注意ください。
 なお、この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。
 さらに、東京白川書院「サリンジャー作品集」(1981年)にも転載されていて、そこには1980年ぐらいまでの文献が追加されていますので、できたらそちらの方を参照した方がいいでしょう。
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フランク・カーモード「ガラスの動物園」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-07 10:04:24 | 参考文献
 1963年に書かれた「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ/シーモァ ― 序論」(それぞれの記事を参照してください)について書かれた書評(というよりは罵倒)です。
 前者の作品は1955年に、後者は1959年に、それぞれ「ニューヨーカー」誌に発表されていますが、この年に一冊にまとめられて出版されています。
 先行する二つの書評から予想できたのですが、二作を「公案(禅宗で、悟道のために(修行者に)与えて工夫させる問題)もどき」の作品と、酷評しています。
 特に、「シーモァ ―序論」については、「シーモァの聖性についての散漫な研究」「屑みたいな作品」「「ズーイ」以上の失敗作」と、口を極めて罵っています。
 さらに、読者についても、「利口そうな顔はしていても、禅について何も知らず、弓道といえば的を射ぬく遊びだと思っているような手合い」「幼稚な読者」「面白いと思うのは誇張の好きな人だけだろう」「何が面白くてかくも多くの人がサリンジャーをまともに相手にするのか」と、サリンジャー以上に軽蔑しています。
 要は、「サリンジャーの禅は、西洋禅(西洋に輸入された半可通の禅)だし、弓道についても、詩(特に俳句)についても、本質的には理解していない(「俺の方が正しく理解している」という感じが全面に出ています)が、読者はもっと無知なので有難がって読んでいる」ということのようです。
 しかし、著者の禅、、弓道、俳句に対する理解も、日本人(私は弓道以外は門外漢ですが)の眼から見れば、サリンジャーと五十歩百歩で、むしろ語り手のバディを通して表明しているようにサリンジャーの方が西欧人の限界をわきまえているだけ、まだましなように思えます。
 それにしても、こうした罵詈雑言が、きちんとした本の中に収められ(ということは著者にとっては、お金になったということです)ること自体に、当時のサリンジャー・ブームのものすごさが感じられて興味深いです。
 なお、タイトルの「ガラスの動物園」については本文では一言も触れていませんが、おそらくテネシー・ウィリアムスの有名な戯曲から来ていて、バディ(サリンジャー)のシーモァに対する「劣等感」を表わしている物と思われます。


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岩瀬成子「きみは知らないほうがいい」

2019-09-07 08:55:39 | 作品論
 五年の時にクラスでシカトされて不登校になった経験のある、六年生の女の子が主人公です。
 今のクラスにも、からかいやいじめ(主人公も認識していますが、いじめられた子が自殺に追い込まれるようなひどいものではないです)が横行しています。
 いじめが原因で転校してきたがいつも正論を述べるのでこの学校でも孤立してしまっている男の子、太っていることを理由に男子に理不尽な目に合っている女の子、作文がネットに載っていたものをパクッたと疑われてクラスで孤立している女の子など、主人公以外にもからかいやいじめの標的になっている子どもたちがいます。
 子どもだけではありません。
 北から流れてきて南へ向かっているホームレス(この用語は作者は嫌いなようなので言い換えると自由人)の男性、作家志望でバーテンダーをやっている主人公の叔父、子どもたちの世話になりたくないと意地を張っている主人公の祖母など、大人たちも孤立しています。
 ラストでは、孤立している子どもたちが、それぞれ自立しながらも連帯していこうときざしを見せて、物語は終わります。
 作品のつくりは一種の成長物語で、そういう意味ではオーソドックスな「現代児童文学」なのですが、こうした作品が2014年に出版されていたことに驚きました。
 今でも、女の子には、こういったかたい作品(主人公と正論を述べる男の子は、とても小学生とは思えない大人っぽい考えや発言をしますし、大人の私が読んでも息苦しさを感じます)を読みこなす読者がいるのでしょうか。
 また、担任の教師があまりに無能なのには、イライラさせられました。
 作者には、教師なんかこんなものという固定観念があるように感じられました。
 それに、クラスの悪者が男の子ばかり(消極的な悪者は女の子にもいますが)なのも、女の子の読者には読んでいて気分がいいでしょうが、少々偏見があるようにも思えました。

きみは知らないほうがいい (文研じゅべにーる)
クリエーター情報なし
文研出版
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