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memento mori




ちょうど5年前、2006年の3月下旬のことだ。

旅行出発数日前に、娘のパスポートが切れていることが発覚、スピード発給の手続きをしたら210ユーロもかかった(ブログ記事にもして、市役所の対応の悪さをグチグチ愚痴っている)。



ええ、奇妙なデジャブ(<昨日も使ったこのセリフ)とはこのことですね...

その時に取った5年間有効のパスポートが3日前に切れていた。

一昨日、あわてて閉館30分前の市役所に駆け込み、スピード発給の手続きをし、今日あがってきた。
うん、いいぞ、5年間スピード発給手数料値上がりなし。


2016年の3月にも同じことを書かなくていいように、5年後の自分にメモをパスして行きたいと思う。



...




武田先生のサイトを紹介した時に、眉につばをつけながら自分で判断して下さい、とは書いたものの、本当に紹介してよかったのだろうかという考えが頭から離れないので、少々考えてみた。

まあ、わたしの考えは休むに似たりだが、このブログにも嫌というほど書いているように「自分は間違えているかもしれない」と頭の片隅においておくのがわたしの数少ないモットーのひとつなので。



武田批判サイトなるものも存在する。
しかし、そのサイトを「これなら武田先生のほうがまし」と言う「科学に知識のある人」もいる。
ヘルシーだ。
でも素人はもう何がなんだかわからない...


意見は大きくふたつ。

方法が厳密かどうかについては議論すべきだが、原発事故がそもそも最悪の事態なのだから、根拠もない楽観論を振りかざすよりも武田サイトの方がよほど誠実。
武田サイトの情報は科学的に妥当な見立てに近そうだが、テレビ報道基準で言えば不安を煽るデマサイトと見なされる。

という、武田は「厳密とは言えないかもしれないが良心的」という意見。


科学の教養がある人は、武田サイトは科学的ではないと判断できる。武田先生の使うデータでは「危険かどうか判断できない」。つまり、判断するのに十分なデータがないのにあたかも科学的であるかのように書いてある点が問題である。

武田は「十分科学的でない」という意見。



上記から、子どもを抱えた一般家庭で「判断するのに十分なデータがないから判断をひかえる」と真に科学的な態度をとることを選ぶのか。自分の知識では判断できないから、判断を下せるようになるまで科学の勉強してから判断を下すのか。

あるいは政府が十分なデータを出していないゆえに、最悪のデータを仮説して判断を下している人の意見を「参考に」して冷静に行動するのか。


わたしならば現時点では後者だな、と思ったのでこのサイトを紹介した。
でも、繰り返すが、武田先生の言うことは何でも正しいからぜひ読めと主張するつもりもないし、参考にしろと強いるつもりも全くない。「てんでんこ」でいいのではなかろうか。



「てんでんこ」に関しては、わたし大ファンのコラムニスト小田嶋隆さんの今日の記事、「ひとつになろう」より「てんでんこ」がいいを。


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