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ロンドン、ショーディッチ散歩








ポーランドから英国の家に戻り、お鮨が食べたいのであると作り歌を歌っていたら、昼、夜、朝3回和食がいただけるようにと夫がロンドンのショーディッチにあるノブ・ホテルを予約してくれた(ノブ’・ホテルは開店以来サービスがずっと素人っぽくて改善されないのはなぜだろうか...)。

わたしは外国旅行から戻ってもしょせん帰宅先も「外国」。でもやっぱり外国旅行から帰ったらまずは和食! ですよね。ね。ね。







ショーディッチのこの辺りはわたしの普段のロンドンの行動範囲からは外れているが、ジェントリフィケーション(中産階級化再開発)された後の昨今も下町らしさが残っていて、若い人が多く、いい雰囲気だと思う。

ここらはロンドンのスラムだった。
スラム形成の原因になるのが港湾だとしたら、ロンドンはその典型である。テムズ川の港の荷役労働がもたらす雇用が吸引力となって内外から貧民を引き寄せ「イーストエンド」が形成された。
ここに引き寄せられたのはイギリス人だけでなく、カトリック教徒のアイルランド貧民が多く、ゆえにイーストエンドにはカトリック教会が増えた。

17世紀になると、フランスで迫害されたユグノー(カルヴァン派キリスト教徒)、19世紀後半には東ヨーロッパで起こったユダヤ人迫害運動(ポグロム)によって追い出された東ヨーロッパの貧しいユダヤ人が流れて来、シナゴーグが激増し(以上、川北稔「イギリス近代史講義」よりまとめた)、今もヒップで有名なブリック・レーンのあたりにはユダヤ人が持ってきたベーグル店が多い。

ちなみにポーランドではベーグルの原型になった「オブヴァジャーネック」の屋台をよく見かけた。
こういうことを見たり聞いたりして、体験がつながっていくのがわたしの楽しみだ。


ロンドンは何もかもが高騰し、普通の人が心地よい生活を送れるようなエリアはどんどん減っている。
7年前に英国に引っ越してきたときはロンドン中心部に住む気満々だったのだが、今では「住みにくいだろうなあ」と思うまでになった。今後も英国に住み続けるのならばきっとロンドンは選ばないだろうと思う。
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