goo

カラヤンは言った。「彼は天才だ」



タイトルの、「カラヤンは言った。『彼は天才だ』」は本の帯から



普段のわたしの非常に狭い生活範囲の、とても愛しているもの

美術館あちこち

毎夜どこかで何かしら開催されているバレエとオペラとクラシック音楽

しばしば出かける旅先でのひとりよがりな旅人目線

美しいデザインの服飾品

...くらいで成り立っているこの拙いブログ、新型コロナウイルスによる隔離生活で、ますます記事内容が狭くなっている。

わたしの生活は花とケーキが中心か...マリー・アントワネットか! 


そこに穴を開けてくれ、外の世界に出られる通路になってくれるのが読書だ。

自分とは生きている時代も、世界も、言語も、経験も、頭の良さや身体機能やジェンダーも違う人の話を知れるなんて!

例えば、読み終えたばかりの、『エフゲニー・キーシン』自伝。神戸のジュンク堂書店を徘徊中、偶然見つけた。2017年の出版時に読みたいなと思いつつ、すっかり忘れていた。
 
ジュンク堂、23時まで開いていてありがたかった。
神戸の夜は早い。夕食後、書棚の間を行ったり来たりできるのは夢のようだった。わたしにとっては「アフリカの果て」につながっている巨大図書室のよう!


キーシン氏の才能についてはものすごく控えめに書かれていると思う。
ユダヤ系ロシア人のあの天才性、特に音楽家の、最強ですね! 全く。

わたしが驚いたのは、彼が現代の人(わたしと同年代の人である)にもかかわらず、彼の故郷ロシア(ソ連)での生活の様子や亡命生活が、まるで19世紀の小説、例えばチェーホフの小説から出てきたもののようでであるところだ。
その非現実感がとても文学的でいいと思った。芸術家はこうでないと!

詳しい内容については紹介を控えるが、彼がリサイタルで他のどのピアニストよりも多くのアンコールに応える理由(常々、なぜこんなに気前よく? と思っていた!)、彼のアイデンティティ、子供時代の思い出、国、音楽、詩などの芸術、出会った人々、他の音楽家についての考えも書かれており、かなりおもしろい。

そこにうかがえるのは世界の底抜けの豊かさ! まさに「アフリカの果て」につながる図書館のような。
同時に言語の限界と、彼自身の意図とは逆に「コミュニケーションの困難さ」すらが浮き彫りになっているように感じられた。


この本を読む予定のないキーシン・ファンの方も、目次の次に出てくる「ウラジミール・レヴィが記したエフゲニー・キーシンの思い出より」だけでもご覧になってみてください。
この半ページ足らずの短文に、人類への贈り物としての才能・キーシン、が凝縮されていると思う。
すばらしく生き生きとした、美しい文章だ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 英国からの手紙 聖土曜日の黒... »