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シベリア急行 trans-siberian




この口紅、「トランス=サイベリア」シベリア特急というロマンティックな名前に惹かれて買ったのだった。こちらはすでに2代目。

やはりわたしたちはものを消費しているのではなく物語を消費しているのだ...わたしは特にそうかもしれない。

Trans-Europe Express ヨーロッパ特急
Shanghai-Express 上海特急

同シリーズには他にもすてきな名前の赤バリエーションがある。
「オリエント急行」がないのはなぜなのか。


前回、本文にはほとんど関係なく最後にこんなことを書いた。

「もし、クリスマスとお正月(予約をしているイタリアとフランスに行けず)、英国島に閉じ込められるなら、夜行寝台列車カレドニアン・スリーパーに乗ってスコットランドに行きたいなあと思っている。
英国から欧州大陸への出入国移動が禁止されてからチケットを手配しても取れるなら、の話になるが。

夜行寝台列車といえば、オリエント急行のロンドン・ヴェネツィア間を、とある節目の誕生日にサプライズでと夫にリクエストしていて、その話を友達にしたら、「それはサプライズじゃなくてプレッシャー」と笑われた(笑)。

ある友人とは、いつかシベリア鉄道でモスクワからウラジオストックへという約束もある。

今後の地球温暖化対策の一貫として、昔のように夜行寝台列車のルートが増えたらいいのに。
飛行機で1時間、の距離なんかは廃止して電車を使う、とか。いいアイデアだと思うけどなあ。」


夜行寝台列車の旅には無限に広がる夢の種が含まれている。

アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロのシリーズにもしばしば登場する、グランドホテル、客船、遺跡、避暑地、避寒地、居留地なども(わたしの好きなものばっかり)...
ベル・エポック、ヨーロッパが最後に輝いた時代の背景だ(その繁栄は、ヨーロッパの外の国や民を犠牲にして成り立っていた帝国主義であるという話ではある)。

19世紀初頭の小説を読むと鉄道旅行の話が頻繁に出てくる。あの頃の旅は一等でも過酷だったようだから、やはりベル・エポックのころの寝台列車がいい。今のスタンダードに比較したら、煤が入ってくるとか不潔だとか、いろいろ不具合はあったにしても、旅とはいえ、みなさん正装して、移動そのものを娯楽として楽しんでいるのがいい。真っ白で糊のきいたテーブルクロスがかかった食堂車のすてきさといったら!


わたしが子供の頃は日本にもまだ外出時の正装の習慣だけでなく、寝台列車が残っていた。
寝台列車で北海道まで旅したことがある。

80年代、プラザ合意の後に妹と二人きりで旅したヨーロッパにも寝台列車が走っていた。
フランスとイタリアを結ぶ列車の食事にはワインとチーズがついており、ワイン文化圏に来たのだ、という思いを強くしたのは今もよく覚えている。
あの時はギリシャのブリンジシとイタリアのバーリを結ぶ寝台客船にも搭乗したのだった。

90年代初め、エジプトのカイロからアレキサンドリアまで使った電車は、ポワロが乗っていてもおかしくないような雰囲気で、生花がいけてあった。


今の大陸ヨーロッパの寝台列車は、当時とは異なり、ほとんどが新幹線の座席テーブルと同素材でできているような例のあの簡易ベッド式で、ハード的にはロマンティックな部分は少なそうではあるものの、17時間くらいかけるユーロ・ナイトのケルン・ワルシャワ間は17時間、ヴェネツィア・パリ間13時間...などもあり、乗ってみたい。

わたしが住んでいる英国にもいくつか寝台車が残っており、上記のロンドン・スコットランド間を結ぶカレドニアン・スリーパーや、ロンドン・コーンウォール(西の果て)を結ぶナイト・リヴィエラは、ユーロ・ナイトよりは多少はましな内装にできているようだ。

ああ乗ってみたいなあ。


ヨーロッパの諸都市からは、飛行機で2時間から2時間半ほど飛べば、だいたい他の国の都市にたどり着ける。そういう距離感だ。

わたしの浅い考えでは、地球環境のために1時間以内(たとえばブリュッセル・アムステルダム間)から1時間強(たとえばミラノ・ミュンヘン間)、欲をいって2時間(たとえばパリ・ウィーン間)の飛行時間で行ける範囲のルートは減便、あるいは夜行列車でちょうど行ける距離の飛行ルートも減便するなどして、もう一度ロマンティックな、できたらゴージャスな鉄道を充実させればいいのに、と思う。


いつか友達とシベリア急行に乗る時は、この口紅をもちろんつけるつもり。
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