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ロイヤル・アカデミーで開催中の、Jasper Johns ’Something Resembling Truth’へ。

「真実に似た何か」という副題がついている。


わたしはジャスパー・ジョンズのソロ展覧会を見るのは初めてだったが、英国でも40年ぶりなのだそうだ。



「旗なのか、旗の絵なのか」

話をはしょるが、20世紀の初頭に実用化された「写真」によって、アートの表現方法は大きく変わった。

写真は図像を簡単に、大量に、しかも安価に生産できるからだ。

写真技術の発達によって、画家が失業するのではないかとあの自信家ピカソさえ不安にさせたというエピソードは興味深い(その答えがうがっている。「ピカソよ、人は天国の写真を撮ってきて人に見せることはできないんだよ」と。最高ですね!)

工業化とメディアの発達とともに、われわれは写真だけでなく、日常生活の多くのものを大量複製、大量生産、大量消費するようになった。
アート界でも(写真と勝負するよりも)、日常生活のありきたりのものの中から自分のアート・コンセプトにマッチするものを選び出し、再利用することによってメッセージを発信する方法にシフトしていった(ロイヤル・アカデミー内の隣のギャラリーでマルセル・デュシャン展をやっているのは象徴的だ)。

アーティストが、ありきたりの日用品を使って発信するメッセージには、当然、日用品の本来の用途以外の意味や価値が付加されることになる。こうして、アーティストは自らのコンセプトをどのように可視化するかに心血をそそぐようになった。作者自身の「コンセプト」こそが作品の価値になったのだ。

「美」を再現するよりも「われわれは何をどのように見ているか」に注視するようになり、鑑賞者の先入観に風穴を開けることで「アートとは何か」について問い続けているのが、20世紀この方のアート界の方向性...という理解をしている(が、間違っているかもしれない)。


ジャスパー・ジョーンズは、絵画が持つ、「平面性」という特徴にこだわった。

そして誰もが知っている、分かりやすいものを通じて絵画の「平面性」を可視化しようとした。それに使ったのが星条旗や標的といったモチーフだった。
この表現方法を通して、彼はルネサンス以降の西洋絵画の伝統、基本原理を否定したのだ。
つまり、2次元上に3次元を再現することを拒否し、無意味化しているのである。


わたしはジョスパー・ジョーンズの最近の作品を見るのは初めてだった。
彼は彼の決して幸福ではなかったらしい子供時代の記憶や思い出までもを「日常生活のありきたりのもの」として扱っており、ちょっと切なかった。そしてものすごく疲れた。


“One hopes for something resembling truth, some sense of life, even of grace, to flicker, at least, in the work.” Jasper Johns, 2006.



(星条旗はちょうど一年前にニューヨークのMOMAで撮影したもの)
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