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ロメオとナタリア




ボリショイからミカエロフスキを経、ロンドン・ロイヤル・バレエに移籍したナタリア・オシポヴァ Natalia Osipova のデヴュー第一弾、「ロメオとジュリエット」。
週末、そのシーズン最終公演を。

オシポヴァ・ファンとしては、彼女のロイヤル・バレエ移籍を聞いた時から、今後しばらくは彼女の舞台を堪能できる機会が一気に増えるのだ! と、もうひたすら純粋な喜びに胸を躍らせて来た。
ボリショイ・スタイルをロイヤル・バレエにどう合わせていくのか(本人も周囲も)など、それはそれ、これはこれ(笑)。
さらに「彼女ほどジュリエット役にハマる人が他にいるだろうか?」と、否応にも増す期待感。跳ねるように劇場へ出かけたわたしのわくわくした気持ちは、ロメオに出会ったジュリエットの気持ちにも負けはしなかったろう。


カルロス・アコスタ Carlos Acosta は優れたダンサーだと思うが、ロメオを演ずるにはちょっと年が行き過ぎてやしないだろうか...という感想とは逆に、ナタリアはいくつになろうともジュリエットが踊れるに違いないと確信した。舞台の上で彼女はほんとうに真っ白なふわふわの羽のようだった。無垢で清らかなティーンエイジャーのジュリエットの身体と心の軽さ、性急さ、ジュリエットがジュリエットである理由そのものを表現するその仕方...洗脳でもされるかのように説得されてしまった。
わたし自身、何度も一目惚れを繰り返してきた人間の1人だが、ロメオでなくても誰でもナタリアに、いやジュリエットに一目で惚れるのだ。


ところで「恋に落ちる」というのはすべてタイミングであるというのは古今東西変わらぬフォーミュラなのですね...
ロメオは叶わぬ恋に悩みつつ、適当に女遊びを繰り返す青年であり、ジュリエットはジュリエットで気に染まぬ結婚を勧められている。この2人が恋に落ちなくていったい誰が落ちるのか、と。恋に落ちるには現状に不満でなければならないのだ。


舞台演出はきれいごとばかりでなく、シェイクスピアの意図したファースが効いていてとても良かったし、群舞が両家の争いや人の気持ちが離れて行く様子などを動きでしっかり表しているのがとても美しく効果的だと思った。ただ舞台の暗転が多く、場面がめまぐるしく変わるのはそこまでする必要があるのかと...まあロイヤルバレエはきっちりすべて説明しないと気が済まない体質ですからね。

そして月並みだが「騎士の舞」、あれは男性のカッコよさを最高にアッピールする最高の曲ですな。プロコフィエフ万歳。



「ジゼル」はオシポヴァ版とヌニュス版を見る予定。「眠れる森の美女」、こりゃもう3回4回は見に行きたい!
来年は特に楽しみなロイヤル・バレエの一年になりそう。
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