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たいくつな人々




夫の幼なじみの中には、ここだけの話、何人か苦手な人たちがいる。


もう、死にたくなるほどたいくつな奴らなのである。

断っておくが彼らは「わたしにとって」たいくつなだけであり、もしかしたら世間では最高におもしろい奴らと見なされてるのかもしれない。また彼らがわたしのことを「たいくつ」と思っている可能性もあるのである。

「わたしにとって」死にたくなるほどたいくつとはどんな奴らか。


自分の半径500メートルくらいの世界観しかない人だ。
彼らが知っているのは自分の家の間取りと、壁のテレビとインターネットからの情報と、仕事場のと親戚の人間関係だけである。
彼らは世界が狭い故に自分の「優位」と「価値感」を唯一正しいと信じており、他人もそれに賛同していると思っているか、賛同していない場合は今この瞬間から賛同すべき、と考えている。
(そりゃあわたしも世間も視野も狭いし、モノも知らない。でも自分が絶望的にモノを知らないということは知っている。)


反対にわたしがおもしろい人と思うのは、自分の視野と限界を批判的に把握している人たちである。そういう視点を獲得するためには自分が組み込まれているシステムから外に出なければならないのであり、それが知性というものだ(おおヘーゲル)。
もちろんこういった人たちの世界観は4ベッドルームなどというセコさではなく、第一学習社の世界歴史地図級である。



先日パリの装飾物美術館で50、60年代の家具展示を見学していると、アメリカ人の30前後くらいの女性2人が「イケアそっくり!」「ほんと、あの椅子、イケアで見たわ!29ドルくらいだった」と叫び、許可されていないフラッシュ付き撮影を始めたのである。

...あのね、イケアのデザインのアイデアはある日突然無から生まれたのではないのだよ。
まあ、イケアも何世紀後かには21世紀の大衆消費文化研究に必須のサブジェクトになるのかもしれないが。

こういう人のことを自分家級の視野しかない人、と言う。
繰り返すが、世間ではこういう人のことを「おもしろい人」と言うのかもしれない。


たいくつかおもしろいか...たくさん旅行しているとか、時事への精通度とか、学歴の高低、キャリアなどは関係ない、と思う。







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