「口伝を渡す」
小川さんが、西岡常一棟梁から教わった斑鳩(いかるが)大工に伝わる口伝を紹介したもの。
「神仏を崇めずして伽藍舎頭を口にすべからず」
自分たちが建てるのは神や仏の住まい。その神や仏を尊ばずに仕事をするなということ。
人の住む家は、そこに住む人の考えに合わせるが、御堂や神社は仏様や神様の住まい。
神や仏は何も言わないが、人々が頼り、安心する場所。
心のよりどころを造るのだから、心して仕事をせよということ。
「伽藍造営には四神相応の地を選べ」
伽藍(寺の建物など)を建てる場所や方角は、四神相応の地を選べということ。
四神とは、東西南北の神々のこと。
東は青龍(清流)、南は朱雀(建物より少し低い沼や沢)、西は白虎(道)、北は玄武(山や丘を背負った土地)がいいということ。※( )は、土地に当てはめるとこうなる。法隆寺はこんな場所。
「堂塔の建立の用材には木を買わず山を買え」
堂や塔を建てる木は、一本一本買うんではなく、山丸ごと買えということ。
その意味の一つは、「自分で山に行って、生えている木を見て使い道を決めろ」ということ。
製材されてしまった木では、どんな所に生えていたかわからない。「生えていた土壌や環境、風 向きや日の当たる方向、森の端の木か、真ん中の木か、そういうのを知って使え」ということ。
もう一つは、「同じ山の木で建物一つを造れ」ということ。
※この口伝は、次の二つとセットになって意味をなす。
「木は方位のままに使え」
木は根付いたところで育つ。そこの環境や土壌から制約を受ける。
風当たりが強いと、枝はちゃんとしようとする。それが木の癖になる。
日の当たる方には枝が多くでる。つまり節が多くなる。
「こんな木は、日の当たっていた方をそのまま日の当たる方向に使え」ということ。
「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」
「木の癖を生かして建物を造れ」ということ。
右捻れの木に左捻れの木を組み合わせれば、より丈夫にがっしり組み合わせられる。
昔は民家でも癖のある木や曲がりの木でも使ったが、今は使えなくなった。嘆かわしい話だ。
資源がない、木を大事にしろと言いながら、やっていることは全く反対だ。
これは、人間にも言える口伝。
木にも人にもそれぞれ癖がある。
その癖を見抜いて生かしやるのが勤め。
木は、山を見れば癖がわかるし、寝せておけば癖が出てくる。
人は、いっしょに飯を食い、暮らし、仕事をしていると癖がわかる。
「癖は才能だから、生かさなければならない。」
「木でも若い木は暴れる。年齢のいった木は暴れが少ない。全く人間と同じだ。」
その癖をなかったことにして、みんな同じ人間にしようとしているのが現代だ。
木は一本一本違う。それを「木」で一括りにして、工場製品のように扱おうとしている。
効率第一主義で考えると、癖は無駄として無視される。
そんな社会では、“子どもの個性を生かす”なんて言葉だけになってしまう。
その戒めの口伝がある。
「木の癖組みは工人の心組み」
大きな建物になれば、大勢の力がいる。大勢集まれば、着せのあるやつが大勢いる。
「棟梁は人の癖を見抜き、木組みをするように働いてもらわねばならない」のだ。
匠長とは棟梁=リーダーのこと。
棟梁が工人たちの心を汲んで一つにせねばならないが、大事なのは“思いやり”。
ここでいう“思いやり”とは、必要なときには厳しく当たることも「叱る」ことも大事な思いやり。
次の二つもセット。
「百工あれば百念あり、これを一つに統(す)ぶる。これ匠長の器量なり。百論一つにとどまる、これ正なり」
「百論一つに止める器量なき者は慎み畏れて匠長の座を去れ」
「百人いれば百人の考えがある。これを一つにまとめて仕事を完成させるのが棟梁。それができなかったら、棟梁が自分から役目を下りろ」と言っている。リーダーへの戒め。
難しいことだが、いっしょに暮らしていれば、考えは一つになっていくもの。
「諸々の技法は一日にしてならず、祖神達の神徳の恵みなり、祖神忘れるべからず」
自分達が身につけた技や工法や智恵は、「みんな先人達の経験から生まれたもの。」
自分は西岡棟梁から育ててもらった。育つ環境を与えられ、今がある。
西岡棟梁は、法隆寺や薬師寺で飛鳥や白鳳の工人の仕事を見て学ぶことが多かったと言っていた。
自分が編み出したものなど一つもない。
新しい機械や電気道具ができたが、「手道具を使えて、木の性質を知って」、初めて100パーセント使いこなせるようになる。
それを力任せに使っている者は、先人達の恩益さえ受けていない可哀想なやつだ。
「先人に学び、感謝することこそ大事」
西岡棟梁から受け継いだ口伝は、このように職人達をまとめる棟梁たちへの戒めだったが、最後に自分の経験から一つ加えておきたい。
「人に任せ、人に譲ることで、伝統の技を生きたものとして伝えていけ」
「古代建築を造り、守ってきた技は文字や数字では残せない。
人から人へ「手や体の記憶」として受け継いできたもの。
人に技を記憶させるのが修業。」
これが「いかるが工舎」を30年率いて、その一端を担ってきたきた者の思い。
棟梁の憂い
その時にできる精一杯のことをしてきた。
だから、後の時代の工人たちは自分たちの仕事を読み取り継いでいけると思う。
だが、日本には肝心の
「木がない」。
それが一番の心配事。
(長泉寺・御堂正面)
これで講演「不揃いの木を組む」のまとめをやっと終わらせることができる。
まるで、自分の思いを書いたような興奮が残っている。
それくらい小川三夫の棟梁魂に引きつけられたのだろう。
<追>
講演会というと、肩書きをきらびやかに光らせて、自分でやってもいないことなどをもっともらしく並び立てる講演者が多いが、自分の仕事から得たものを飾らず話されたことに大きな共感を持つことができた。
125名の参加があり、半分以上が建築関係者だったと主催者は発表。
我々の仲間の講演会で、こんなことは稀なことなのだ。