旅行、ときどき車弄り

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【後編】鎌倉見物(大船観音・長谷寺・鎌倉大仏・鶴岡八幡宮・建長寺・円覚寺)

2023年04月20日 | 関東編(内訳)

【前編】より

「鶴岡八幡宮」
です。ここも妻の希望で寄りました。



古い階段の奥にある2008年に倒れた大銀杏は、公暁が実朝を暗殺した際に隠れたという謂れがあります。嘘くさいですが。


「建長寺」です。ここも妻の希望です。車でなく歩いてきたのは1983年の入社後、同期の観光案内以来となります。三門(重文)は江戸中期築。


鎌倉時代の創建時から残る鐘楼(国宝)です。


仏殿(重文)は江戸時代の増上寺時より移転したもの。地蔵菩薩は室町時代です。彫刻が見事で天井も金ピカです。


隣の法堂(重文)は江戸後期築。千手観音の手前のブロンズ像は愛知万博でパキスタンから送られたものです。


唐門(重文)も増上寺からの移転です。方丈も緑が綺麗な季節となりました。心地よい風が吹いています♪


バスは1時間に2本しか来ません(休日3本) 八幡宮~建長寺~円覚寺は各12-3分ですので歩いた方が早いです。「円覚寺」の三門は江戸中期築です。ここも5-6回は拝観していますね。


仏殿は関東大震災で再建。本尊は廬舎那仏です。ちょっと険しいお顔付でした。


天井画も昭和に描かれたものですが建屋も鉄筋ですからね。建長寺などは法堂(重文)に2000年に天井画を描いてしまいました。文部科学省はよく許可したものです。


彫刻の見事な唐門の奥は方丈です。大木は樹齢700年を超える柏槇(ビャクシン=ヒノキの一種)とか。


方丈です。


そして方丈庭園。2枚目は「開基廟」で江戸の再建。茶屋も兼ねています。


「洪鐘(こうしょう)」は鎌倉時代の国宝です。100段ほど登った中腹にあります。前回はここの茶屋で休みましたが閉まっていました。建長寺&円覚寺とも中国人も居らず、以前よりも空いていました。日本人も少なかったなー

「長谷寺」の観音ミュージアムは近日中にリベンジします。そのつもりで急遽、「鎌倉国宝館」の代わりに「円覚寺」を入れました。次回は「覚園寺」も加えた3ヶ所を巡りたいと考えています。

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【前編】鎌倉見物(大船観音・長谷寺・鎌倉大仏・鶴岡八幡宮・建長寺・円覚寺)

2023年04月20日 | 関東編(内訳)

4/17(月)リーマン時代の先輩からお誘いがあって大船泊。翌日は妻と待ち合わせて鎌倉へ。

飲んだ翌日は(私は腹一杯食べた)、自宅から大船まで徒歩で来れる先輩と「大船観音」へ。


昭和60年築で内部にも入れます。なんか教会っぽい作りでした。


先輩とは別れて妻と合流、江ノ電で「長谷寺」(HPリンク)へ。江ノ電の昔の車両は1990年まで走っていたとか。


手水舎も渋く、お庭から入るのも良い風情♪ 私は長谷寺には初めての参拝なのです。


正面が観音堂で奥は阿弥陀堂。手前の枝の影が観音ミュージアム。観音堂の本尊は、室町時代のもので光背は関東大震災で壊れてアルミで作成、9メートル以上ありますが全身が見渡せるので迫力あります。奈良の長谷寺の観音像は足元から見上げるので、よく見えないのよね。画像はHPより。


最奥にある経堂は輪蔵で壁にはマニ車がありました。ともに回すことが出来ます。


阿弥陀堂の阿弥陀如来も室町時代とされています。


なんと観音ミュージアムには寄り忘れました(泣) ここには重文等が安置されております。画像はHPより。2枚目は弁天窟の入口です。


薄暗く一方通行で意外に広かったりします。楽しいです。


「和み地蔵」だそうで、像が庭のアチラコチラに。


「鎌倉大仏」まで徒歩10分。最初は小学校3年の遠足で来ました。江の島の橋の上から見た犬の溺死体とともに忘れられない思い出です。東大寺の大仏と違って、ほぼオリジナルを保っているのです。5-6回は来ていますが妻の希望で寄りました。


中国人らは金を払わずに内部拝観していました。しかも家族連れまで。僧侶の声掛けも無視です。お坊さんが「英語で話しかけても無視される」と苦笑していました。

中国人アルアルですね。黄砂と一緒に帰れ。

小町通りは混んでいますが、土日よりはマシです。妻は豆菓子を買っていました。

鎌倉を訪れたのは2001~2年に2回です。建長寺・円覚寺・海蔵寺・東慶寺・報国寺・浄智寺・切通し+紅葉・江の島を回りました。

後編へ続く

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