だいぶ世間からは遅れていますが、新しくなった秋葉原に行ってきました。旧青物市場跡に作られたヨドバシカメラや、リニューアルが進む電気街を歩き、随分前に、学生時代に学校の帰り道に歩いたことを思い出し、感慨深いものがありました。都市が再生するように、我々も再生する、と思っています。
その限界はないはずです。明日は、また、新しい自分でありたい、と考えています。
だいぶ世間からは遅れていますが、新しくなった秋葉原に行ってきました。旧青物市場跡に作られたヨドバシカメラや、リニューアルが進む電気街を歩き、随分前に、学生時代に学校の帰り道に歩いたことを思い出し、感慨深いものがありました。都市が再生するように、我々も再生する、と思っています。
その限界はないはずです。明日は、また、新しい自分でありたい、と考えています。
森博嗣の「すべてがFになる」を読み終えました。文系?理系?の違いはあるものの、有栖川有栖と同じジャンルの作家かと思っていましたが、案外、違っていたかもしれません。
正直、読みにくい文章(意識して硬質の文章を書く高村薫のような恣意的ではありません)だし、会話も不自然さがありますが、構成は素晴らしい。
トリックも二重・三重にしてあって、結論も納得いくものがあります。
しかし、この作家の最高の表現は、四季という主人公?の造形の素晴らしさ、でしょう。彼女のキャラクターがこの作品の質を高めているのです。
何故か、彼女のセリフだけが、抜きん出ています。おそらく、作者が長年温めていた人物なのかもしれません。
決して、文学としては大成功(駄目とは言いません)しているとは思えませんが、別の作品を読んでみたくなりました。
一部で話題になっている?森博嗣氏の作品を読み始めています。色々、課題もあるようですが、メフィスト賞を受賞した「すべてがFになる」を読んでいます。
面白いのですが、京極夏彦氏や有栖川有栖氏の作品を読んでいて感じる、「違和感」を感じています。これは、何だろうと思うに、それは謎のための謎が話の中心になっているために、所謂文学的な観点が抜け落ちているような違和感なのかもしれません。
謎解きを骨格に置くゆえに、謎解き以外の話が、どうしても、ないがしろ(本人に、そのつもりはなくとも)になってしまう傾向があります。
好みの問題なのですが、どうも、自分には受入れにくいようです。でも、この作品の面白さを否定することは出来ません。
そういう意味で、不思議な作品です。
上野公園には、色々な像がありますが、そのひとつが、小松宮の銅像です。いったい、どういう人か、あまり知られていない、というのが実情でしょう。戊辰戦争や、西南戦争、日清戦争において、軍を指揮する立場にあった人のようです。もちろん、皇族です。何ゆえに、上野に銅像があるのかは不明ですが、戊辰戦争に関連するのか、日清戦争に関連するのか、いずれにしても、勝者としての象徴だったのかもしれません。
そもそも、上野は恩賜公園。天皇家から賜った公園なんですから、皇族の銅像があっても不思議ではありませんが、ちょっと、今の時代では可愛そうな銅像かもしれません。
以前から、上野の森には、色々なものがあることは知っていましたが、それが、何であるかは十分把握していませんでした。今日、上野の森で、びっくりしたのは、あの南北戦争で活躍したグラント将軍の植樹記念碑が、上野の動物園前にあること。
グラント将軍が日本に来たことも驚きながら、植樹碑があるのは、更にビックリ。かつ、それが上野にあるのには、更に、オドロキでした。
いやはや、上野の森は、歴史が凝縮された面白い地区です。