河童の歌声

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足の小指が痛い

2022-11-18 13:22:46 | 健康
数か月前から、左足の小指が痛い。
小指の爪の部分が靴に当たって痛むのです。
歩いている時も痛みがあって、気になり何となく〇〇〇(放送禁止用語)で、
歩いている様に感じる。

足の外側の小指というのは、私は骨が硬くてよく見る事ができないのです。
爪を切る時も、その為に当てずっぽうで切っていた、そんな感じでした。
足の爪専用の爪切りを買ったりしたのですが、
当てずっぽうでは何を使っても同じなんですね。(目視できてないんですから)

でも痛いものは痛いので、
これはきっと爪が長くて痛いのだろうと、
当てずっぽうながら一生懸命になって爪を短く切り込んだのです。
でも痛みは一向に良くならずでした。
仕方ないので近所の皮膚科に行きました。
医者は専門家なんだからきっと何とかしてくれる。
誰だってそう思いますよね。

でもネ、患部を見せたら医者は「爪を切り過ぎていますね」
  「これじゃあまりにも切り過ぎですね」だってさ~。
「どうすりゃいいんでしょう?」
  「わかりませんね」
「何とかなりませんか?」
  「どうにもなりませんね」
バッカヤローッ、オメーは医者だろ!
何とかして治してやろう、という気持のかけらも無いのかッ!
テメーは! (あ、済みません、お前様は)

でも、「市販薬に(魚の目)専用の絆創膏がありますから、それがいいでしょ」
と言って、1枚の絆創膏をくれた。
帰宅して薬屋に行き、そいつを買ってきて指に巻き付けた。
それで試してみたのだが、全然効果がない。

しばし痛みに耐えながら、一生懸命生きてきました。
でも、やっぱりどうにかしない事には、痛みで自殺しかねない。

と言ってあの、やる気まるで無しの医者に行ったってラチが開かない。
あいつには(俺の手で何とかしてあげよう)という優しさ、
医者としての根性、そういった姿がまるで感じられないのだ。

ネットで近辺の病院を検索してみた。
すると「ここならきっと、いい医者が居そうだ」という名称の病院があった。
こういった名称を、高らかに謳いあげている病院なら・・ウンいける。
と電車に乗り、駅から徒歩して行った。
(きっと立派なビルなんだろう、毅然としてそそり立っているんだろう)
駅から5分。
そろそろ立派に毅然とうち立っているビルが在る筈だ。
3階建てか4階立てか・・うふふ楽しみ~。

無い!
住所はここな筈なんだが無いんだ。
そこに在ったのはまるで昔の、戦前の建物といった古めかしい戸建住宅。
でも看板には確かに〇〇病院と書いてある。
おい、本気かよ、嘘じゃないよな。

恐る恐る入ると、待合室とおぼしき小さな部屋があり、
一人のジジイが、昔風のベンチみたいな長椅子に座っていた。
すぐにジジイは呼ばれて会計を済ませるのでした。

ところで、フツー病院には看護婦さんとか居るよね。
居ないの、全然だ~れも居ないの。
居るのは診察室に医者(とおぼしき)老人だけ。
他に待っている患者とか・・・だ~れも居ないの、俺だけ。



まあ、こんな感じの診察室に入った。
これこれしかじかと、今まで必死となって行き抜いてきた私の生き様を語った。
「ふ~ん、これね~」
  「ふ~んじゃね~だろ、やい、年寄りめが」
「う~ん、チョッとやってみようかね」
老人は奥の部屋? の大工道具箱? から、
ニッパー状の大工道具で、ワタクシのおみ足を取り、
貯金貯金(あ、間違えた、チョキンチョキン)と、やったのです。
「これで様子を見てください」
  「ま、仕方ね~よな、年寄り医者なんだから」

家に帰る道すがら「あれ? 全然痛みが無いじゃん」

それ以後、あの硬い皮の靴は廃棄したとはいえ、
足指の痛みから私は解放され、生きる望みを見出し、
今では人生を生きる歓びを再び取り戻し、
これがまさに人生を謳歌するというものなんでしょうね。

あの様な、世界的名医が、あんなトコにまさか居ようとは。
俺はここに住んでいて本当に良かった。
今ではかの名医の居る方角に、足を向けて寝るなんて不謹慎な事絶対にしないし、
毎日、彼を思って手を合わせて拝んでいるのです。



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北口榛花・・この娘いいね

2022-11-16 07:47:25 | スポーツ
陸上の世界選手権で快挙 旭川市出身の北口榛花選手が"やり投"で銅メダル…地元の反応は (22/07/25 19:25)


北口榛花(はるか)選手は、やり投げの第一人者です。
今年7月のアメリカでの世界選手権では、やり投げ銅メダル。





その時は観客席の、セケラック、コーチ(チェコ人)に駆け寄って、大泣きし、
私達はそのシーンにもらい泣きしました。
でも、その前、コーチとは喧嘩状態だったそうです。
「集中しろ、集中しろ」とだけ言うコーチに、
ここに来て集中しない奴なんかいないよ、と。
(そりゃそうだよ・笑)
彼女は本当に天真爛漫で可愛くて、素敵な女性ですね。





北口榛花さんは、
1998年3月16日、北海道旭川出身の24歳。



お父さんは旭川のホテルで製菓料理長をしているそうです。



お母さんは(写真右側)は社会人でバスケットボールの選手だったそうです。

榛花選手とお父さんが座って並んだ写真を見ると、
お父さんは榛花さんより大きそうだし、
母親はバスケットボールの選手だったそうですから、
彼女の体格、身長179センチ。体重86キロは、そんなとこからなんでしょうね。

でも大きいけど可愛いんです。
あの天真爛漫な仕草、屈託のない笑顔。
誰でもあの屈託のない笑顔を見れば、魅了され応援したくなりますね。

こんな素敵な娘は、いいパートナーと出会えればいいですね。
大谷翔平(193センチ-95キロ)
いいじゃんか! お似合いじゃんか!

もし、そうなったらデッカイ子供が生まれるだろうけど、
その人間性の良さは、きっとみんなを魅了するんだろ~な~。



こんな可愛い娘、やってる彼女もいたんだな~。

決定!
そうしなさい、おやんなさい・・と勝手に思ってるオレ(笑)

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日本初のスーパースポーツ

2022-11-14 07:36:18 | バイク


日本で初めてのスーパースポーツと言われたのが、1959年の、
ホンダ・ベンリースーパースポーツCB92(125cc)でした。

ホンダは250ccにはドリーム(夢)と名付け、
125ccにはベンリー(便利から採った)と名付けていました。



このスーパースポーツの原型は、
実用車であるベンリーC92(125cc)でした。



この頃、250ccにはドリームC72というベンリー号と同じ実用車がありました。
125も250も、似た様な基本形であり、
角張った、いわゆる神社仏閣型と呼ばれた当時のホンダスタイルです。
私が初めて持ったのも、このC72をスポーツ的なWシートにしただけのバイクでした。
250ccで18馬力だったかな・・
箱根のヘアピンカーブになると出力不足で足で路面を蹴った記憶があります。
今だと250でも50馬力とかの時代ですから、
たった18馬力って・・可愛かったな~(笑)

そういった時代にホンダでは何とかスーパースポーツを持ちたい、
何とか実用車の世界から脱皮したいという一念から、
こういった、スタイルだけはスポーツカーであってもいいから持ちたかったのでしょうね。
でも、これを目にする事は本当に少なかったけど、かなりのインパクトがありました。
しかし、フレームはパイプではなく鋼板製のプレスフレームでした。
本格的なスポーツ車になるには絶対にパイプフレームでなければなりません。
しかし、まだ難しいパイプ成形の技術が無かったのかもしれませんね。







あの世界的な実用車のスーパーカブも、
その前輪支持にはボトムリンクでした。
初のスーパースポーツのCB92も、まだボトムリンクだったのです。
しかし実用車の典型であるスーパーカブも後年は、テレスコピックを使っています。
真っすぐに伸びた一本棒スタイルのテレスコピック。
スポーツであるならば絶対的にテレスコピックでなければなりません。



1960年。
ホンダは満を持して日本初の本格的スーパースポーツを発表しました。
CB72(250cc)24馬力の本格派でした。
日本中のバイク好きは目を輝かせ、羨望の眼でこのバイクを熱く見つめたのです。
あのCB92が、なりたかった本格派の世界。
涙を流して世界に羽ばたきたかった一流のスーパースポーツの世界。
それがとうとう実現したのでした。
まだ中学生だった、バイクの世界に開花したばかりだった私も、
自宅の向かい側にあった木型屋のバイク好きなお兄ちゃんが、
ある日、これの新車に晴れ晴れしく乗って来る様になり、
昼休みになるとタバコを吹かしながら我が愛車を愛おしく熱っぽく、眺めている姿を、
生意気餓鬼の私は憧れて見ていたのでした。
特に彼がバイクを走り出す時に、
両足をポーンと前に投げ出す感じで、颯爽と走り出す姿は今、思い出しても感動するのです。



同じ頃、ヤマハからはYDS-1というライバルが出現します。
(金茶色)と呼ばれたカラーで、ウォーンという独特の、
2サイクル車の排気音を轟かせながら疾走する姿は、
ホンダとヤマハは、どっちがいいか?
なんてあの頃のバイク好きは皆、胸を熱くして語るのです。



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小中学生の健康診断は裸でやるべきか?

2022-11-14 06:03:23 | 日記


今、小中学校の健康診断は裸でやるべきか否かが問題となっているらしい。
これは男子ではなく、主に女子児童の事を言ってるのです。
そりゃそうでしょう。
男子が裸になろうがどうしようが、誰もそんなの問題になどしないでしょう。

問題は勿論、女子児童の事です。
昔と比べて児童の発育状態は比較にならないほど著しいのです。
私の愛娘も小学6年生の時の身長は163センチでした。
163センチというのは、高校3年生女子の平均身長158センチを、
5センチも超えている、完全な大人の女性なのです。

身長がそうなら、それに伴って胸の発育だって大人以上、それが普通でしょう。
私が小学校6年生の時、クラスで一番胸の大きい娘(こ)がいました。
更に彼女はクラス一番の美人だったのです。
彼女の胸(おっぱい)は男子から、いつも注目され、いつも噂の的でした。
彼女の名前が出ると、男子たちは彼女のオッパイの事かと聞き耳を立て、
その胸元を熱く見つめたのでした。
彼女が自分のオッパイの大きいを恥ずかしく感じ、
胸元を隠す様な仕草をするのを何度となく見たし、感じました。
今だから言うとなれば、あの彼女は言いたくても言えなかった時代の、
屈辱感がどれほど耐え難かったかと、言うと思います。

その頃、私の身長は148センチくらいだったのですが、
彼女は私と同じくらいだった気がします。
148センチなどという身長は、一般女性でも普通に居る女性です。
そんな女性達が、いくら健康診断だ、身体検査だと言われて、
はいそうですかと、オッパイをまる出しに出来ますか?
そんな女の子を持つ父兄が、自分の娘がいくら医者の前だからといって、
オッパイをさらけ出す光景を平常心で居られますか?



昔、若かった時に同棲していた年上の女性がいました。
彼女の身長は150センチだったのですが、胸が大きかった。
中学校の時はクラスで一番大きくて恥ずかしかったと言ってました。
姉の友人に、やはり胸の豊かな女性がいて、
何かというと男性の視線を感じる事ばかりで嫌だったと言ってたそうです。
胸の大きな女性達はみな、そういった理不尽さに耐えてきたみたいです。
それが小学生という、世間一般的な子供だったら、
何でまだ子供な自分が、そんなイヤらしい目で見られなければならないのという、
理不尽な屈辱に耐えていると思います。

学校側は、自分達の行う規則、行為には何ら問題はない。
教師や医師のする事に問題などあろう筈はないと言います。
そんなのって今更あり得ない事だなんて世間は百も承知してます。
教師だ、警察官だ、牧師だ、医者だ、弁護士だと、
さも正当で真っ当な職業だとほざいても、そんな保障などまるで消え失せている時代なんです。
あのローマ法王らの世界でも、そういった性的暴力が見え隠れしている時代なんです。

学校のする事は正当であり、何ら問題は無いと言い張る教育者よ。
貴方たちのする事がいつまでも正当である時代は、終わっています。
それをいつまでも直視できないのであれば、
もう教育者である事を、やめるべきです。

完全な大人の女性の身体である現在の少女たちを裸にして、
一生その屈辱感、敗北感で悩ませる行為はやめなければなりません。
それを聞かぬフリをするという事は、
あなた方に、生涯後悔の念でさいなまれる敗北感を与えるでしょう。

大人の身体になっている女の子達の健康診断が、
何故、裸でないと診断できないの?
私の行く、通いつけの医者など、別に裸になどせずに、
シャツの首から聴診器を突っ込んで音を聴いてます。
それで充分でしょう。
裸になどしなくても、それで十分に健康体であるのですから。
身体の発育状態など、医者としての経験から、全体を見れば分かるでしょう。
裸になれば一番いいかもしれなくても、
恥ずかしさ、一生屈辱感を与えるくらいなら、やらない方がいいでしょう。

小中学校の健康診断を裸でやる必要などありません。
今すぐにやめるべきです。



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こんなキャンプ場に誰がした

2022-11-13 12:04:59 | キャンプ


この11日(金)から12日(土)にかけて、
1泊2日で、道志の森キャンプ場にソロキャンプに行きました。
妻は、コロナ以来すっかり臆病風に吹かれ、
また年齢的にも一時の様なキャンプ熱も薄れ、ここ数年はソロで行くようになっています。

夫婦で行っていた頃は、あまり触手の動かない道志の森キャンプ場だったのですが、
一人で試しに行ったら、予約要らず、料金格安、サイトが広くて選べるなどが、
思っていた以上に使い勝手が良く、今ではソロキャンプというと、ここばかりです。





大体どこでもキャンプ料金として5000円~6000円は取られるのですが、
ここは何と、たったの1800円。
やる事は同じで、良いサイトが空いていれば、こんなにいい事はありません。

私が行った日は金曜日の11時半くらいだったのですが、
既にかなりのキャンパーが入っており、私の目的だった第一候補地は既に埋まっていました。
しかし、池の畔の比較的いいサイトに空きがあったので早速の設営。
このキャンプ場のいい点に、まずは空いている気に入ったサイトにテントを張って、
受け付けはその後にすればいいというのがあります。
管理事務所に行かなくても、事務所のお兄ちゃんがバイクで巡回していて、
まだ受付をしてない人を目ざとく見つけては、料金回収をしてくれるので楽チンです。

しかし夫婦で行くのとソロで行くのとでは全然違うのです。
何が違うって、1泊で済んじゃうのです。
本当は2泊して真ん中のまる一日をキャンプ場でゆっくり過ごす事に、その良さがあったのですが、
一人っきりだと、間が持たないのです。
だから1泊だけで、そそくさと切り上げて帰って来ちゃうんです。

しかし、今回という今回ほど驚かされたキャンプは無かった。
2日目、撤収して帰宅する日は、土曜日でした。

朝、静かに目の前の池を眺めながらボンヤリしてると、
7時になった途端、早速、、、今日からキャンプをするんだ!
やい、オメーら、俺が来たからには、只じゃおかないぞ。
俺が来たからには只で済むと思ったらオーマチガイだぞっと、
1台目の車がドドドドーッと討ち入って来たのです。

それに引き続き2台目が、と思ったら3台目、4台目、5台目・・・
「お~来るわ、来るわ」
いっぺんに10台以上が、狂った様に、雲霞の如く突撃して来たではあ~りませんか。
最初は数を数えるなんて可愛い事をやってた私も、
数十台とかの単位になると、何だかボーゼンとして打ちのめされる思いがしました。

して、このバカ連中が、他人より良い場所を探して走り回るのです。
「オメーラな~、土曜日なんかに来るんじゃね~よ」
「土曜日という混むと分かってる日に来てだな~、
他人よりいいサイトに自分だけは確保したいなんて、虫のいい事考えてんじゃね~よツ」
「オメーラはな~、自分の顔がどんな顔してんだか思った事があるかッ?」
オメーラの顔をつまりアホ面ってんだよ、バカ。

昔は、とまではいかなくても、せめてコロナ以前は、
平日のキャンプ場に行くと、私達だけ、居てもホンの数組が居るだけ、
という日ばかりだったキャンプ場が、いつからこんな狂騒曲になってしまったんだ。
「ヤイ、オメーラ。世にキャンプばかりしか無いとでも思ってんのか?」
「他にやる事、行くとこ、いくらだってあるだろッ」
キャンプってのはだな、俺みたいに世の中というものを冷静に、
それでいて人には優しく思ってる人間だけが来るべき場所なんだよ。

誰だ!こんなキャンプ場にしたA級戦犯は!
ゲーノー人の、ヒロシなのか?
あいつが「俺のキャンプ」なんてやっちゃったからなのか?

あ~ヤになっちゃうよな~。
間抜けなド素人キャンパー尽くしのキャンプ狂騒曲に、
悩ましく、世も末だと深刻に考えてる私なんです。
あ~ヤダヤダ。



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