河童の歌声

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津波・・あれから4年

2015-03-11 05:47:43 | 日記
とうとう東日本大震災から4年の日を迎えてしまいました。

津波から丁度3か月目の6月11日に私は初めて、石巻の被災地に足を踏み入れ、
その惨状を目の当たりにした時は、涙を禁じえませんでした。





これが初めて見た(津波)の凄さでした。
石巻の日和山公園から太平洋側を見たその瞬間、私は息を呑みました。
まるで何にも無い状態、津波は街の全てを根こそぎ海へと呑みこんでしまったのです。



ここには以前、薬局があったのです。
そして、彼ら夫婦は津波に呑まれてしまいました。
私は思わず手を合わせて祈りました「可哀想に、可哀想に・・」



この写真の人は・・生きていて欲しい。



石巻の市街地には、50~60センチ位の津波だった様ですが、薄汚れてる様が見てとれます。


それから4か月後の10月に、気仙沼に行って来ました。
出来れば陸前高田に行きたかったのですが、鉄道がまだ未開通でした。



私が若い頃に使用し、使わなくなっていたトランペットをこの楽器屋さんに
「どこかの学校で使って頂ければと」委託して来たのがこの店でした。





気仙沼も石巻と同様、見るも無残に過去を失っていました。





気仙沼漁港は海の高さと、岸壁の高さが殆ど同じ高さにまで地盤沈下していました。
また、漁港近くの海の下には、かつての道路のセンターラインがありました。





そこには、海から600メートルも奥に乗り上げて有名になった「第18共徳丸」の無残な姿がありました。
鹿折唐桑駅の真ん前にその船は鎮座していました。
これを津波の教訓として残すか?撤去するか?の議論がありましたが、結局、撤去されてしまいました。
私は残してほしいと思っていましたが、やはりその場でこれからも生きて行く人の意見が優先ですね。



森進一の「港町ブルース」の碑も、ご覧の姿となっていました。


津波から2年後、私は再び石巻へ行ってみました。
多少の復興はある様にも見えますが、基本的には何も変わってはいないのです。
気仙沼と同じで、1メートル近くも地盤沈下してしまったのですから、
そこに家を建てろと言われても、とても建てられるものではありません。



被災地巡りに乗ったタクシーの運転手さんは、
働いていた会社と奥さんを失ってしまい、仕方なくタクシーの仕事を始めたそうです。



石巻には6メートル90センチの津波が押し寄せ、
家も、職場も、人々の幸せも、故郷も、全てを太平洋の海へと消し去ってしまったのですね。
このポールは、津波がここまで来たという印が建てられていました。



「頑張ろう石巻」
負けてなるかというけな気さが、そこにありました。

殆どの方が戦後生まれの我々世代にとっては、初めて味わう大惨事。
この惨劇を決して忘れてはならないと心から思うと同時に、
ではどうしたらいいんだろうかと思います。
「忘れないこと」
そして、彼等被災者の現状をもっと知り、目を向けて行くべきだと思います。
観光旅行に行くなら東北へ・・行けば(お金)は落ちます。
行く事によって人間の姿が被災地に入ります。
それだけでも励みになります。
あの人っ子一人居ない被災地に行くと、かつては人が大勢いたであろう事との落差を痛切に感じます。

行きましょう。被災地へ。
行って彼らの味わった経験を共有し、話を聞いてあげましょう。
そしていっぱいお金を落としていきましょう。
復興と言っても現実は「お金」なんです。
そして、人としての「心」を彼等から頂き、そして私たちも彼らに与えてあげましょう。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
( ノ゜Д゜)こんにちは (わか)
2015-03-11 10:57:44

政府は、何をしたのでしょうね!???

+原発とは、最悪ですよね。

 そうでした、あの時河童さんは、トランペットを持って行かれましたね。良いことをしましたね。

 みなさんがカンパしたお金は、震災以外にも使われたとか。
その使途も 規約の中には、謳っていたとかで あとで、騙された気がします。

ともしびの人たちは、「がっちゃん」を中心に 何度も被災地にうたごえを届けていましたね。

自分に出来る範囲で 何かをしてあげたいです。
そして、風化しないように みんなにも機会あるごとに
話すことも大事なのかな!?
返信する
忘れてはなりませんね (河童)
2015-03-12 05:40:08
わかさん

私たちは現金カンパもかなりしましたが、
本当に被災者たちの為になった事と思いたいですね。
それにしても原発!
あんな最悪の事態になって、被災者たちは勿論、福島という故郷をダメにしてしまうなんて、言葉を失います。

ともしびで思い出したのですが、
時々ベースを弾いていた亨君・あのガタイのいい彼(42歳)が脳出血で3、4日前、急死したそうです。びっくりし、心からご冥福を祈るばかりです。
返信する
こんにちは! (わか)
2015-03-12 11:16:20

とおるさん(児玉) 脳出血でしたか。

どなたかに聞きましたが マサカでしたよね。

数年前の 「春の大うた」で一緒に舞台に上がった事がありました。

あまりにも早すぎましたね。

返信する
若い人の死は辛い (河童)
2015-03-12 13:45:48
昨日、三軒茶屋の歌声の二次会で、ともしびの修平さんから児玉亨さんだという事を聞きました。最初はギターを弾く人だと聞いていたので、一体誰だろうか?と判らなかったのですがギターではなくベースだと聞いて、すぐに彼だと判りました。
その若さに修平さんもショックを受けていました。
出血場所が大変重要な場所で、殆どが助からず、また仮に助かっても植物状態になるらしく、もう仕方ないと諦めるしかなかったみたいです。
ご冥福を祈りましょう。
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