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笑いの天才・・志村けん

2021-12-03 07:09:23 | 日記


私は、志村けんを(笑いの天才)だと思っています。
テレビを観ると、いわゆる(お笑い芸人)とか呼ばれる芸能人がいっぱいいます。
しかし、彼等の芸を殆ど観た事はなく、
観るのはだいたいバラエティー番組で、おバカをやってる姿ばかり。
彼等のどこが(お笑い)なの?といつも疑問に感じています。

しかし、志村けんだけは完璧なお笑い芸人でした。
とに角、お腹の底から大笑いさせてくれました。
人によっては笑いの質が低俗で笑えないという人も居るのは知っていますが、
私は大好きで、何もかもを忘れて腹を抱えて爆笑していました。

志村けん・・・

1950年ー2020年(70歳)
東京・東村山出身。
小学校の教諭だった父親が厳格な人物で、家庭には笑いがなく、
その為に逆に笑いに飢えていたそうです。
ただその父親もお笑い番組を観ていた時は声を出して笑っていました。
その体験からお笑い芸人の世界に憧れを強く抱く様になります。
校長への昇進を目指して勉学に励み、家庭と学校とを往復するだけの父を、
なんてつまらない人生だと見ていたそうです。

高校卒業時に、いかりや長介の家へ直接押しかけ、
弟子入りを志願しますが、当然、門前払い。
しかし、しつこく喰い下がった根性を買われ、ボーヤとして採用されます。
「では卒業したら来ますから」と言ったら、
いかりや長介に「バカヤロ、今から出かけるんだ」と言われます。



その後、加藤茶の家に居候しながら芸能活動をしますが、
コンビを組んだしても上手くいかずでした。
1973年(23歳)にドリフのメンバー見習い扱いになります。
「8時だよ全員集合」で「東村山音頭」を歌ったらそれが受けました。
1979年には加藤茶と「ひげダンス」
1980年には「カラスの勝手でしょ」が人気を博しました。
1985年「全員集合」が終了。
1986年「カトちゃんごきげんテレビ」がスタート。
「志村けんのだいじょうぶだぁ」「バカ殿様」
「変なおじさん」などで大人気となります。



私がよく笑ったのに、こういったボケ老人ものがありますが、
これは父親が47歳で学校を休職し、そこから痴呆が始まって、
54歳で亡くなったのですが、
その時の経験が芸に生かされているのだそうです。

また、志村けんは外国人からの評判も良く、
アメリカに来い、お前は人気者になれるなどと言われたりしました。
私の以前の中国人の妻も、
まだ日本語がたどたどしい時から、志村けんのテレビが大好きで、
「志村けん面白いよ~」と腹を抱えて大笑いしていました。
やはり彼の芸は言葉の壁を超えて、受けるのです。
言葉など大して解らなくても笑える、それは素晴らしい芸です。
彼だけが持つ特殊な能力だったと思います。









ほぼ無名だった東村山市を全国区にしてくれた功績を讃えられ、
名誉市民にもなり、駅前には石碑やら記念の木が植えられているのですね。
でも、そういった堅苦しい事ではなく、
とに角、笑わせてくれた。とに角、楽しかった。

その志村けんが、まさかコロナで亡くなった有名人第1号になるなんて・・・
これからどれだけ私達を笑わせてくれるかと思っていたのに。
本当に残念です、無念です。

まあ、いつかはこういった人は出てくるのでしょうが、
私達の世代では、もう二度と見られないでしょう。
志村けんさん、ありがとう。
貴方は本当に楽しかった、笑わせてくれた、感謝します。



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