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セウォル号沈没事故

2021-09-19 19:49:19 | 事件・事故
千の風になって セウォル号追悼曲 沈没事件2014年4月16日 日本より黙祷


今から7年前、
2014年4月16日、韓国でセウォル号沈没事故が起こりました。
その悲劇的な事故は、あまりに悲惨で忘れられない事故というか(事件)でした。



4月15日、修学旅行へ仁川港から済州島を目指す壇園高校2年生の生徒325人を含む、
引率教師14人、一般乗客108人、乗務員29人の、
合計476人の乗るセウォル号は午後9頃仁川港を出港しました。
476人の内、高校2年生がほぼ7割という比率でした。

その日は濃霧の為に午後6時の出港時間が約2時間遅れの出港でした。
4月16日、
8時49分・・屏風島と観梅島あたりで、
       船は突然右に45度旋回した後に傾き始めます。
8時52分・・更に北に旋回(時速9キロに減速)
       急激な旋回で船体は横倒しになり、
       乗客の少年が携帯で消防に通報
8時54分・・消防への通報が海洋警察に通報されます。
8時58分・・セウォル号が遭難信号を発信、海洋警察が受信します。
9時17分・・セウォル号が海上交通センターに救助を要請。
10時10分・乗客は海へ飛び下りろと船内放送。
10時17分・沈没が始まる



4月17日・・悪天候の為、救助難航ほぼ中断。
4月18日・・わずかに浮いていた船体が完全に沈没。
4月26日・・乗組員15人全員を逮捕。
5月15日・・船長ら4人を殺人罪で起訴。
2017年3月24日、事故から2年11か月後に船体の引揚完了。

死者は299人、行方不明者は5人となりました。
476人中、実に68パーセントが死亡という大惨事になりました。

しかし、この事故は事故というにはあまりにも人災に近く、
事件と言ってもいい事故なのです。



セウォル号は元々日本で1994年に建造された船でした。
鹿児島と沖縄をを航行する「フェリーなみのうち号」でした。

2012年に韓国の清海鎮海運に、
スクラップ同然の8億円で売却されました。
清海鎮海運は数々の改造が施され、
最初は5997トンだったのが、6825トンまで増加しました。
この改造は違法ではないのですが、
重心が高くなり、バランスを取るのが難しくなりました。

セウォル号については様々な悪評が付いています。



〇 セウォル号の積載量は987トンでしたが、
  実際は3608トンと上限の3,6倍という過積載だったのです。
〇 船体のバランスを保つのに必要なバラスト水は、
  復元力を保つ為には2000トンが必要だったのですが、
  船長は過積載をする為にバラスト水を捨てて、580トンしか無かったのです。
〇 コンテナ固定の固定装置を使わずに、ロープで縛っただけでした。



〇 イ船長(69歳)は、事故当時、操舵室を留守にしており、
  乗客の避難誘導を全くせずに、自分が真っ先に脱出した。
  乗組員である所か船長である事を隠す為に、半ズボンというか下着姿で、
  救助されようとするイ船長の卑劣な姿。

〇 イ船長は非正規社員であり
  本来の47歳の船長に代わって船を操縦していた。
〇 一等航海士に代わって新人の三等航海士が、
  危険区間である海域の指揮を執り、
  時速30~33キロで航行すべき所を、時速39キロで航行し、
  急旋回により船体が傾き荷崩れを起こした。



〇 事故事の避難誘導はなく、「救命胴衣を着用して待機してください」の、
  船内放送があっただけで「動かないでください」と繰り返すばかりで、
  多くの高校生たちはそのまま待機した事で被害を多くにした。
  この可愛い女の子たちの多くが悲しくも還らなかったのです。

〇 運航会社の清海鎮海運は、故障や事故を繰り返し、
  社員教育もいい加減、セウォル号の船体復元性にも問題がある事を、
  把握していたのですが、一切の対策を採らなかったのです。
〇 水圧を感知して膨らむ救命ボートを46艘を積んでいましたが、
  固定器具が錆びついて外せなく、ほぼ全部が使用不能だったのです。
〇 仁川~済州島航路を運航するにはセウォル号は船体が大き過ぎて、
  就航基準を満たしていなかったが、
  清海鎮海運は監督局のトップに賄賂(500万円)を渡して許可を得ていました。
  この会社は全くとんでもないブラック企業であり、
  法的にも国家的にも韓国という国は本当に安全など臨むべくもありませんね。

韓国という国の建物、構造物、交通機関にはあまりにも問題が多く、
安心して行かれない、乗れないという不安感が付きまといます。
これは中国に関しても似た事が言えます。
これからも、きっとこの類の問題が起こる気が拭えません。
まずいね、こういった点は早急に改善しないと国際的な信用は得られませんね。

2017年1月13日のブログに、
「呪われた船」として、1955年(昭和30年)に、
瀬戸内海の宇高連絡船で、セウォル号と似た状態で、
多数の子供たちを乗せた紫雲丸が沈没し、
168人という人達が亡くなってしまった事故を書きましたが、
船長は助かる可能性がありながら、
自分が犯した取り返しのつかないミスに耐えられず、
自ら船と運命を共にして死んで行きました。

船と一緒に死んで行くのは、過ちの原因が分からなくなるという責任放棄ではありますが、
その気持ちは痛いほど理解できます。
それに対してセウォル号にイ船長の、あまりにも責任感も人間としての自覚も皆無であり、
卑劣極まりない姿を晒してまでも(生)にこだわり続ける下らない人間です。
彼は結局、殺人罪を適用され無期懲役になりましたが、
今までの自分の人生の全部を世間から否定されながらでも、生きていたい。
その気持ちが全く理解できませんね。

欧米の何処の国だったか、
貨物船の船長として立派な実績がありながら、
たった1度のミス。
貨物積載時に計算を誤ったか、船体が傾いたままで出港し、
遂には転覆するという取り返しのつかないミスに耐えられず、
彼も船と運命を共にして死んで行きました。

その行為が適切だったかは兎も角、
自分がやってしまったミスを、自分自身が許せなかったという気持ちは理解できます。

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