今日も本から吉備津を見てみます。
谷文晁が描く「日本名山図会」の中の吉備の中山です。たった150mそこそこのお山ですが、堂々と富士山、磐梯山、御嶽、大山などと肩を並べて描かれています。
それだけ当時(江戸文化年間)日本を代表されるようなお山なのでした。それが明治以降、岡山県などの無策が今のようなあるかないかも分らないようなお山にしてしまったといっても言い過ぎではないように思えます。あれだけ天下にとどろかしたお山が寂しい限りだと、歎いているようでもあります。
なお、谷文晁描く吉備の中山は実際とは少々異なった所もありますが、それは文晁が実際現地で写生したのではなく、誰からか聞いた話を基にして想像して描いたからだと思います。この写真からでも分るように、実際はもっとなだらかな女性的な優しいお山なのです。
谷文晁が描く「日本名山図会」の中の吉備の中山です。たった150mそこそこのお山ですが、堂々と富士山、磐梯山、御嶽、大山などと肩を並べて描かれています。
それだけ当時(江戸文化年間)日本を代表されるようなお山なのでした。それが明治以降、岡山県などの無策が今のようなあるかないかも分らないようなお山にしてしまったといっても言い過ぎではないように思えます。あれだけ天下にとどろかしたお山が寂しい限りだと、歎いているようでもあります。
なお、谷文晁描く吉備の中山は実際とは少々異なった所もありますが、それは文晁が実際現地で写生したのではなく、誰からか聞いた話を基にして想像して描いたからだと思います。この写真からでも分るように、実際はもっとなだらかな女性的な優しいお山なのです。
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