私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

山川捨松(鹿鳴館の裏話)

2009-10-03 11:21:00 | Weblog
 春子たちまでも動員してまで開いた、華族会館(鹿鳴館)での毎月曜の舞踏会を、当時の先進欧米各国の外交官たちは[滑稽なおどり」と、嘲笑していたと言うのです。
 体に合わない燕尾服や窮屈そうな夜会服を四苦八苦して着て、覚えたてのぎこちないダンスに興ずす姿を見て、「失笑せざるを得ない」と、日記に書いている外国の外交官もいたというのです。

 小川治平と言う画家がいます。この人が、覚えたてのぎこちないダンスに興じる絵を残しています。
 
 スマートさがありません。腰の引けた「ぎこちない」踊り姿を巧みに表現しています。

 一方、この舞踏会で、花形女性ダンサーとして一躍名を成さしめた日本女性もいました。山川捨松という女性です。男性ではないのですよ、念のために。津田梅子たちと一緒にアメリカに留学した才女です。
 24歳までアメリカにいて、大学にも通ったのです。当然、英語は勿論、フランス語・ドイツ語まで自由に操り、踊りは勿論、欧米の諸習慣にも精通していていました。当時、そんなん彼女が帰国していて、この舞踏会にも参加させられます。野暮ったい日本女性の中にあって一人、踊りや所作などアメリカで身に付けた振る舞いに、その場にいた欧米の外交官達の目を見張らせた事は言うまでもありません。そんなん超モダンガールだったのです。
  
 この写真のように、とっても美人で有名でした。津田梅子達が明治4年渡米する時に写した写真を前に載せましたが、山川捨松は一番左に写っている人です。この人がこんなに変身しています。比べながらご覧ください。どう思われますか。

 捨松は、当時、大山巌と結婚にしていて(とても近代的な結婚をしています)、姓も大山と変わっていました。明治20年のお話です。これも鹿鳴館時代の歴史の裏話なのですが。
 
 そんな中での、鳩山春子はどうだったのでしょうかね。嘲笑の対象の中には入っていなかったのだと思いますが。そのあたりのことについては、残念ですが、この手記では何も語ってはいません。

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