東京などでは早や桜が満開との報道が新聞等でにぎやかに騒ぎたてられておりますが、ここ吉備津では例年とほぼ同じで25日にやっと開花しました。
こののいじらしい一輪のはなびらをさも初々しそうに青空に向けて咲かせていました。これから1週間ぐらいはそうでしょうか、雨や風のねぐらを尋ね、恨み事を云わねばならない心境にさせられます。此の桜から受ける人の心は、本当にあった言う間の出来事のようにあちらに行ったりこちらに来たりしながら様々な紋様を描きくように揺れ動きます。そこに何か春のぼんやりとした愁い有るからだろうと考えられます。昔から続いてきた日本人にしか描き出せない精神的な情景を此の桜は見事描き出してくれるのです。桃色と空の青さが織りなす妙であるといってもいいの下はないかと思われます。その摩訶不思議な世界を日本人の雅心は沢山の文学作品を、また、この世に送り出したのです。篁、小町、惟喬親王、業平は言うに及ばず西行も芭蕉も蕪村など多くの日本人がその歴史の流れの中に春愁と云う独特の思いを多くの字数にして、あくがれ出してきたことには間違いないと思います。
でも、不思議なことではですが、此の開花したばかりの花弁には、そのような精神的日本の歴史を震撼させるような感傷的な感情は一つありません。清楚と云う言葉はぴッたしの風景です。“花の本にて春死なん”の西行の心を揺れ動かしめた思いは開花したばかりの花びらの中にあるのではなく、満開の花の中にこそ有るのだと思いますが、どうでしょうか??????
まあそんなことはどうでもいいのですが、明日から当分の間、「宮内の今昔}から離れて吉備津の美しい桜の数々を今年も紹介していきたいと思いますので見てください。
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