私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

由井正雪と備前の洪水

2009-12-17 21:24:34 | Weblog
 承応3年の秋の備前の大洪水ですが、江戸に幕府か出来てからまだ50年も経ってない時代です。それも外様の大名に4万両という大金をよくも貸したなと思いませんか。
 承応3年と言えば1654年です。この2年前に起こった由井正雪の幕府転覆計画の事件(慶安事件)があったばかりです。政治情勢は誠に不安定な時代です。その上、此の由井正雪事件に、岡山藩も関わったのではないかと、一時幕府から疑われたことがあったのですが、それにも拘らず、幕府は、備前藩の洪水による領民窮乏を救うために援助を惜しまなかったのです。一説によると四万両と言うお金は江戸幕府の公式記録にはないそうですし、そのお金が返金されたという記録もないと云う事です。と言う事は、只で四万両のお金を幕府は岡山藩の為に与えたと云う事になるのだそうです?
 なお、これもちょっと横道にそれますが、由井正雪の慶安事件について触れてみます。
 此の事件が、俄かに明るみに出たのは、正雪の部下がその計画を幕府に垂れこんだために発覚したと云うのが、小説では取り上げられるのが普通です。
 しかし、「仰止録」によると、岡山藩主池田光政候がその計画を事前に察知して幕府に知らせたために、江戸幕府転覆という大事件が起こらず、事なきを得たのだと書かれています。
 それによりますと、江戸城襲撃を計画した正雪が、この事件の前に、「備前屋敷のご用である」と、蝶の紋付模様に、その柄に槍を仕込むような一風変わった提灯を五十丁を日切りして注文したのだそうです。此の提灯屋が、これを不審に思い、念のためにと、備前藩に「あなたの藩はこんな提灯をご注文されましたか」と、問い合わせをします。そのことを、朝食の時、係の役人からお聞きになった光政候が、直ちに馬を馳せて、「火急の用がござる」と老中に面会を求めます。老中は「公用がはたくさんあるので後で会う」と言ったのですが、「どうしても急用で会わねばならないのだ」と、重ねてお願いします。そして、ようやく事で面談が叶い、講談調に言うと「これこれしかじかこうなって」と、あらましを光政侯は老中に詳しく話します。
 此の事が元で事件が一挙に解決を見たと、これには書いてあります。
 
 これは公の歴史の表には決して現われない史実ですが、この仰止録には顔を覗かせています。まあ、こんなんこともあって備前藩も、紀州藩と共々に此の事件にかかわったのではないかと疑われていたのは事実なのだそうです。

 この事件が起こった二年後、大洪水に見舞われた岡山藩は、幕府から四万両のお金を借りているのですよ。普通では考えられないことなのですが、そのこととは関係ないのですが、ある人物がいたから四万両と言う大金を幕府から借り受けることが出来たのです

 ある人物とは?

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