私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備津の芝居小屋

2012-09-21 09:36:57 | Weblog

 春秋の2回行われた宮内芝居の為の仮屋は、現在、牡丹園がある辺りに北向きに造られ、その為、観客席が回廊まで続き、そのために回廊にある横木を数本取って、自由に行き来が出来るようにしたと言われています。又、秋の興行の時はその小屋が今の弓道場辺りに南向きに造られたと言われます。どうして春秋の芝居小屋が場所を違えて作られたのかという理由はよくわからないのですが。
 とにかく、御朱印芝居は江戸大阪京の3都を除、宮内にしかなかったのです、だから相当遠くから芝居見物に来ていたのだそうです。それに伴う人々の喧嘩口論は絶えまなく、相当な騒ぎを引き起こしていたのだそうです。それらを取り締まるための、備前岡山藩や備中庭瀬藩の代官所が臨時に設けられ取り締まりが行われたということです。 

 なお、松平定信が行った寛政の御改革の時、全国の芝居小屋は殆ど閉鎖されていたにもかかわらず、此の吉備津の宮内芝居だけは開かれていたのだそうです。
 この当時の(寛政年間)記録が、児島味野に、岡山藩から出た、「宮内芝居に行ってはいけません」というお触れ書として残っています。この文を見ますと、当時、児島の味野辺りからも宮内芝居の見学に出掛けていたのです。なお、この時の芝居は「いろは屋文七」と言う大阪の役者が来て、連日の満員御礼でそれはそれは賑わったと言い伝えられています。時は寛政7年だそうです。

 

 


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