備前訛の光政侯の近習が土に手をついて言います。
「あまりに中江の無礼、光政侯を誰と思うてか」声を荒立てます。すると光政侯は、
「猥りに物をば申すな。声高にては授業の邪魔とならむ。控えて居れ」
と、鷹揚に申されます。「ハッと列坐(なみゐ)る諸臣は黙然(もだし)をれり」と、その場の雰囲気を記しています。
光政侯の母は徳川家康の外孫で、外様大名でありますが西国の雄藩です。それだけ格式も高く、こんな田舎の一学者ごとき者に、ご自分の尊貴を忘れて、あたかもその家来であるが如くに振舞わなくてもよい、そんなにペコへコすることはないと、家来衆は思われたのです。が、藩主自ら「物を申すな」と言われるのですから致し方ありません。しぶしぶとだろうと思われますが、そこに居並ぶ総ての家臣たちは黙らざるを得ません。そんな雰囲気が「黙然(もだし)をれり」です。
そうこうしている内に、藤樹先生の村塾の枝折戸を押しあけて、里の総角(あげまきと読みます。子供たちの事です)がガヤガヤと帰って行きます。
すると、そこに藤樹先生が穏やかにお出ましになられ
「無礼に侯ひき、稽古もおはり侯。いざ此方へ」
と、草堂の塵の中に案内します。
「あまりに中江の無礼、光政侯を誰と思うてか」声を荒立てます。すると光政侯は、
「猥りに物をば申すな。声高にては授業の邪魔とならむ。控えて居れ」
と、鷹揚に申されます。「ハッと列坐(なみゐ)る諸臣は黙然(もだし)をれり」と、その場の雰囲気を記しています。
光政侯の母は徳川家康の外孫で、外様大名でありますが西国の雄藩です。それだけ格式も高く、こんな田舎の一学者ごとき者に、ご自分の尊貴を忘れて、あたかもその家来であるが如くに振舞わなくてもよい、そんなにペコへコすることはないと、家来衆は思われたのです。が、藩主自ら「物を申すな」と言われるのですから致し方ありません。しぶしぶとだろうと思われますが、そこに居並ぶ総ての家臣たちは黙らざるを得ません。そんな雰囲気が「黙然(もだし)をれり」です。
そうこうしている内に、藤樹先生の村塾の枝折戸を押しあけて、里の総角(あげまきと読みます。子供たちの事です)がガヤガヤと帰って行きます。
すると、そこに藤樹先生が穏やかにお出ましになられ
「無礼に侯ひき、稽古もおはり侯。いざ此方へ」
と、草堂の塵の中に案内します。